【阪神新人連載】中野 虎党一家で「一番」に執着した幼少期 誰よりも守備磨いて体格差克服

[ 2020年12月23日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 6位・中野拓夢内野手(上)

98年、阪神のジンベエを着た中野(提供写真)
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 夢を切り拓(ひら)いていけるように――。そんな願いが込められた拓夢は父・茂明さん(55)の影響で、幼少期から熱心な虎党だった。テレビは常に有料放送の阪神戦。最初に心奪われたのは2度のタイトルに輝いた今岡誠(真訪=現ロッテヘッドコーチ)。子供用レプリカユニホームに袖を通し、画面の前で応援歌を熱唱していた。

 「No・1」の選手が好きだから「一番」になることには相当な執着を見せた。買い物帰り、家に入るのも自分が最初でなければ家族でやり直し。小学校のテストではたとえ空欄を埋めていなくても、提出の速さを競った。

 小学校2年生から始めた野球でも負けん気をいかんなく発揮した。背の順は常に一番前。卒業時点でも1メートル40程度しかなかった。「ホームランバッターになるのは難しいから、とにかく守備をやらせよう」という父の考えで、当初バットをもらえなかったことが守備の礎を築いた。

 週4回午後6時までの練習後、父に白球が見えなくなるまでノックを志願。自分から帰るとは絶対に言わなかった。誰よりも「一番」練習しないと気が済まない性格だった。守備力を買われ、4年生で右翼のレギュラーになった。当初は右打ち。5年生で左打ちに転向し、のちに本職になる遊撃も初めて守った。

 自宅でのグラブを使わない特訓も、守備力に磨きをかけた。硬球の形をした軟らかいボールを、リビングからキッチンの冷蔵庫へ向けて“壁当て”。就寝前も父と向かい合って球を投げ合い、徐々に電灯を暗くしながら捕球練習。素手で球をつかむ感覚を体に染み込ませていった。

 中学では「一生野球に携わりたいから」と家族に頼み込み、部活ではなく「山形シニア」に入団。走り込みでは周回遅れのチームメートの分まで自主的に走った。中学卒業時点で1メートル50程度しかなかった体格差を克服。守備、バント職人として遊撃、二塁と内野の要を担った。鳥谷敬(現ロッテ)への憧れは、本格的に同じポジションを守ったこの頃に抱き始め、いまも公言する。

 虎党一家だから、比較的近い仙台や札幌での交流戦には家族でよく足を運んだ一方、甲子園だけには行かなかった。父がずっと言ってきた。「高校で拓夢に連れてきてもらうのが最初がいいから」。描いた未来予想図は日大山形に進み、かなえることになる。 (北野 将市)

 ◆中野 拓夢(なかの・たくむ)1996年6月28日生まれ、山形県天童市出身の24歳。小2から野球を始め、中学時代は山形シニアに所属。日大山形では2年夏の甲子園で4強入り。東北福祉大では1年春からベンチ入りし、3年春は遊撃、4年春秋は二塁でベストナイン。三菱自動車岡崎では1年目から正遊撃手。1メートル71、69キロ。右投げ左打ち。

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