【藤川球児物語(39)】「明日すら見失いそうに」 引退スピーチで触れたメジャーでのつらい日々

[ 2020年12月22日 10:00 ]

15年5月、試合中、ダルビッシュ(左)と言葉を交わすレンジャーズ・藤川(ゲッティ=共同)
Photo By ゲッティ=共同

 13年にカブスで開幕戦初登板初セーブを記録した藤川球児は、クローザーに抜てきされ、4月9日、本拠地でのブルワーズ戦で9回に登板。1安打無失点、2奪三振で2セーブ目を挙げた。「凄くうれしい。自分に運があるなと思う」。だが、これが最後のセーブとなる運命の流れがあった。

 同12日のジャイアンツ戦では3失点で救援に失敗したが、サヨナラ勝ちでメジャー初勝利。藤川はその翌日、右前腕部の張りのため、故障者リスト入りした。長い長い闘いの始まりだった。

 開幕前に本紙評論家として現地で取材した金本知憲は「メジャーに向けて10キロ増量したのが気になる。経験上、10キロ増やすと体は対応できない。ケガが心配」と語っていた。予感が的中した形だ。

 肉体の変化、ボールの感触、マウンドの硬さ。負担がいろんな角度からかかっていた。5月に戦列復帰を果たしたが、月末に再び故障が発生。6月11日に腱移植のトミー・ジョン手術を受けた。「靱帯(じんたい)が完全に切れてました。長く苦しいリハビリになるかもしれないけど、前向きに取り組む」と藤川はリハビリに臨んだ。

 ともにメジャーで戦う松坂大輔、ダルビッシュ有、上原浩治らから激励され、翌14年8月6日に437日ぶりにメジャー復帰。「もうダメだと思うこともあった。でも人生にはもっと大変なことがあると感じていた」と振り返ったが、15試合登板でシーズン終了。オフにはレンジャーズ移籍が決まったが、15年5月に登板わずか2試合で自由契約となった。

 今年11月10日、引退試合のスピーチで、藤川は当時に触れた。「本当に苦しいことばかりで…孤独で…新人の頃のようにうまくいかない日々が訪れ、明日すら…明日すら見失いそうになっていました」と言葉を詰まらせた。朝もスッキリと起きることができず、原因不明の頭痛や腰痛にも悩まされた日々。代理人に「もう辞めたい」と引退を相談したこともあった。世界を舞台に勝負するという夢は無残に打ち砕かれた。  =敬称略=

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