【阪神新人連載】伊藤将 運命変えた1球のキャッチボール 左投げの捕手、幼少期には伝説の数々

[ 2020年12月15日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 2位・伊藤将司投手(上)

小学6年の少年野球大会で遊撃の守備をする伊藤将(家族提供)
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 将司の野球のルーツは1球のキャッチボールにあった。若い頃、プロゴルファーを目指して、養成所に通っていたという父・正宏さん(51)とともに3、4歳の頃から毎週ゴルフ練習場に付いて回るほどゴルフに熱中していた。正宏さんも「ゴルフをやらせようとしていた」というが、たまたま投げた1球が運命を変えた。

 「将司投げてみろ」

 ある日、キャッチボールをすると園児とは思えない、速く制球の良いボールが父の胸元に突き刺さった。「野球をやらせたら面白いかもしれない」。高校時代まで野球部に所属していた正宏さんはゴルフではなく、野球をやらせようと決断。横芝小入学と同時に地元のクラブチーム「横芝フェニックス」に入団することになった。

 週2回のクラブでの練習とは別に、学校から帰宅すると父との特訓が待っていた。友達と遊びに行くことは皆無。日が暮れるまで毎日キャッチボールなどを繰り返し、野球の基礎をたたき込まれた。

 元来が左利きであったため、左投げ、左打ちで野球を始めた。低学年の頃は投手を務めながら、強肩を生かして、遊撃や捕手も経験。内野手用のグラブが販売されておらず、投手用のグラブで遊撃を守ることもあった。打力を買われ、時には高学年のチームの4番を任されることも。当時、指導していた實川吉男さんは「何でもできるまれな選手でした」と振り返る。

 強肩が有名だったこともあり、捕手では相手に盗塁企図されることはめったになかった。投手では走者を許しても、けん制球で全てアウトにした伝説の試合もある。どこでもオールマイティーにこなす器用な選手。当時のことを将司は懐かしんだ。

 「左で捕手は大変でした。盗塁とかの時は投げにくかったですけど、肩には自信持っていました。いろんなところをやらせてもらった思い出はあります」

 中学では横芝中の軟式野球部に入部。投手に専念し、最速133キロの直球を武器に、3年春には選抜チーム「オール山武」で千葉県大会を優勝した。活躍が目に留まり、横浜高に進学。甲子園には2度出場したが、2年夏は2回戦の前橋育英戦に先発して6回5失点で敗戦。3年春の選抜でも初戦の八戸学院光星戦で4回6失点KOされ敗れた。

 これまで順調にエリート街道を歩んできたが、全国の壁は厚かった。そんな将司に国際武道大で転機が訪れた。

 ◆伊藤 将司(いとう・まさし)1996年(平8)5月8日生まれ、千葉県出身の24歳。横浜高では2年夏、3年春の甲子園出場。国際武道大では1年春から登板し、3年春にMVPに輝くなど千葉大学リーグ通算24勝。JR東日本では1年目から公式戦登板。1メートル78、85キロ。左投げ左打ち。

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