【藤川球児物語(19)】本物の「火の玉」生み出した清原との伝説の対戦

[ 2020年12月1日 10:00 ]

05年4月21日、巨人戦の7回、藤川は清原(右)をフォークで空振り三振に仕留める

 “事件”は東京ドームで起こった。「火の玉」を手中にして迎えたプロ7年目の05年シーズン。4月21日の巨人戦において、藤川球児を語る上で欠くことができない場面が生まれた。

 先発は井川慶。試合は阪神が前半から得点を重ね7回に2死満塁のピンチを左腕が背負ったところで、監督・岡田彰布が動いた。「ピッチャー藤川」。打席に4番・清原和博を迎えていた。この時点で10―2とリードしていたが、東京ドームは何が起こるか分からない。一発出れば、セーフティーリードではなくなる。当然の継投だった。

 ともに点差を忘れて、一投一打に集中した。初球はカーブでボール。ここから150キロ近いストレートを3球続け、バットに空を切らせた。5球目はフォークが外れ、フルカウント。矢野輝弘とのバッテリーは6球目にフォークを選択。132キロは膝元でストンと落ちた。

 清原は対戦しながら思い出していた。伊良部秀輝、野茂英雄…。匹敵する球を投げている。最後はストレート勝負、のはず。気合はマウンドにも伝わっていた。だから空振り三振に取りながら、藤川は視線を下に落としたままだった。

 期待したからこそ、清原は荒れた。「10対2で、2死満塁で、フルカウントで、フォークやろ。ちゃうやろ。ケツの穴小さいな。チン○コついとんのか」。スキンヘッドに湯気を立てながらの発言は広く報じられた。岡田は怒った。「失礼や。真っすぐしか打てんと言うてるようなもん。それまで2球ストレートを空振りしとんのやから。ホンマ失礼な話やで」。

 ひとつのエピソードが伝説につながる。これが藤川球児という投手の存在を全国区にした。清原を本気にさせたストレートに、阪神ファンも相手方も注目した。そして誰より、藤川自身が「もっともっとストレートを磨かないといけない」と意識した。「火の玉」が本物になる契機だった。=敬称略=

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