【藤川球児物語(9)】虎1位指名に「村山実さんのような投手に…」と決意表明 同世代の松坂にも対抗心 

[ 2020年11月21日 10:00 ]

98年11月20日のドラフト会議で阪神から1位指名され、胴上げされる高知商・藤川球児
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 1998年のドラフト会議は11月20日に行われた。注目の松坂大輔は横浜、西武、日本ハムの3球団が競合し、西武が交渉権を獲得した。

 阪神が1位指名を公表した藤川球児も直前で慌ただしい動きがあった。広島が競合覚悟で指名するという情報が流れた。だが、最終的に広島は敦賀気比・東出輝裕の指名を決めた。単独で「阪神・藤川」が誕生した。

 「うれしいの一言です。村山さんのような投手を目指したい。真っすぐとフォークで向かっていく投球が印象に残っている。天覧試合で長嶋さんに打たれた後も、向かっていく投球を続けたと聞きました。ピンチでも逃げない投手になりたい」

 村山実はこの年8月に他界していた。ザトペック投法と呼ばれた現役時代はもちろん知らない。それでも野球部のミーティングルームにあった往年の名投手のフォームをまとめたビデオを、藤川はずっと見てきた。金田正一、堀内恒夫…。その中で最もインパクトがあったのが村山の投球だった。猛虎の血は藤川の中でつながっていた。

 松坂にも対抗意識を燃やした。「自分は自分ですから。でも、松坂が200勝を目指すなら、僕は201勝します。高卒同期の全員に負けたくない」と指名を受けた後に言い切った。

 この年のドラフトに話を戻そう。巨人は上原浩治、二岡智宏を逆指名で獲得。中日も同様に福留孝介、岩瀬仁紀から逆指名を受けた。広島は6位で新井貴浩を指名した。

 阪神は1位で藤川、2位でNTT関東の金沢健人、3位で東洋大・福原忍を指名した。金沢は阪神、ソフトバンクなどで332試合に登板。福原はプロ83勝をマークした。藤川は言うまでもなく、松坂世代の中で最も名球会に近づいた。だが、それが証明されるまで時間が必要だった。「阪神ドラフト1位」の看板が時には重荷に感じるほど、忍耐の日々が待っていた。=敬称略=

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2020年11月21日のニュース