【内田雅也の追球】期待は本社―球団連携だが…阪神史上初のオーナー兼球団社長 忖度構図は変わるか

[ 2020年11月21日 08:00 ]

先月、辞任を発表し会見で頭を下げる揚塩球団社長
Photo By 代表撮影

 阪神が「お家騒動」を繰り返してきた原因は電鉄本社、なかでもオーナー(本社会長や社長)の現場への過剰で不当な介入にある。球団社長といえども本社役職は古くは部長級、後に専務級が就いたが「鶴の一声」には言葉を返せない。

 思えば、球団初年度の1936(昭和11)年シーズン序盤で初代監督・森茂雄を解任している。

 それでも冷静に歴史を振り返れば、本社介入が顕著になったのは松木謙治郎が審判団ともめた大阪球場事件の責任を取って退任した1954(昭和29)年オフが最初である。戦争で甚大な被害を受けた阪神電鉄も戦後復興を果たし、本社も球団に目を向けだしたのだろう。当時、後任は「ミスター・タイガース」藤村富美男が濃厚と見られるなか、オーナー・野田誠三(本社社長)の一存で無名の岸一郎を監督に据えた。後の選手らによる「藤村排斥運動」の火種となり、禍根を生んだ。

 以降、監督人事に絡んで、オーナーの意向に球団が振り回された事実は枚挙にいとまがない。

 いや、監督問題だけではない。球団間で合意していた交換トレードが本社の意向で白紙撤回されたり、取るに足りないような案件でも必ずオーナーの決裁がいる。球団は毎週のようにリポートの提出とオーナーへの報告が義務づけられている。

 1988年1月から阪神取材に携わり33年になるが、退いていった球団社長から耳にした本社やオーナーへの恨み言は山のように積み重なっている。ある時は、退任する球団社長の無念さに心を打たれ、夜討ちした先で落涙してしまったこともある。

 そんな阪神で20日に発表された人事はある意味で画期的だと言える。今月末で退任する球団社長・揚塩健治の後任はオーナー(本社会長)の藤原崇起(たかおき)が兼務する。揚塩退任が発表された10月10日付で本紙が既報していたニュースである。

 オーナー兼球団社長は広島の松田父子に例をみるが、阪神ではむろん初めてだ。本社―球団間の不連携解消が期待される。意思決定の潤滑化がはかれるなら喜ばしい。

 藤原は元より現場主義で、ともに汗をかくなど肌感覚を大切にする。この日も「私も現場育ち。まずは現場に行き、肌で感じて考えていきたい」と語った。オーナーと現場が直に結ばれることになる。これでお家騒動がなくなれば、言うことはない。

 お家騒動など昔話だと笑ってはいけない。つい2年前の10月、球団は監督・金本知憲続投で動いていたが、上層部の意向で事実上の解任が行われている。後任が現監督の矢野燿大である。あの時、金本に辞任勧告を行ったのは揚塩だが、揚塩は指示に従っただけである。では、決定を下したのは誰だったのか。当時、オーナーは坂井信也から藤原への交代時期だった。内部からは「親会社の親会社」阪急阪神ホールディングス(HD)の意向が働いていたとも伝わる。

 画期的と書いた今回の人事も、上層部の意向を忖度(そんたく)する構造が上滑りしただけでは意味がない。オーナー兼球団社長の姿勢に注目したい。=敬称略=(編集委員)

続きを表示

2020年11月21日のニュース