【藤川球児物語(1)】阿久悠が感じた「投手」球児の魅力 信念持った歩みが甲子園を感動で包んだ

[ 2020年11月13日 10:00 ]

1997年8月15日、夏の高校野球で平安に敗れ、甲子園を去る高知商・藤川球児
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 阪神の藤川球児投手(40)が10日の巨人戦を最後に22年に及ぶ現役生活に幕を閉じた。引退スピーチで発した「野球選手藤川球児は皆様の気持ちの塊だったんだと思う」に象徴されるように、ともに戦った選手、声援を送ったファン、それぞれの思いが「火の玉ストレート」を生み、名勝負を演じさせた。特別な2020年のシーズンオフ。「奇跡の男が歩んだ軌跡 藤川球児物語」と題し、積み重ねた本紙取材から足跡を改めてたどる。

 いつもと変わらない朝だった。感動的な引退試合から一夜が明けていた。自宅前にスタンバイしていた密着取材のテレビカメラも、11日の朝には消えていた。静かだった。

 悔いはない。藤川の心は晴れやかだった。最後のマウンドで全12球、すべてストレートを投げきった。公式戦での登板。中途半端なボールを投げることはできない。球場もマウンドも戦うための場。ユニホームを着て投げるために、9月1日の引退会見から、あえて自分を追い込み、トレーニングを続けてきた。痛み止めの注射も打った。「引退するんだから」の甘えは自分が許さない。野球人としての矜持(きょうじ)も貫くことができた。

 引退セレモニーに、その後の会見。すべてが終わったとき、日付はとっくに変わっていた。子供たちも先に寝ていた。監督・矢野燿大からのものを含め、多くの花で埋まった自宅で「終わった感じがなかなかしない。しばらくはこんな感じなのかな。身近な人たちから改めてお礼を伝えていかないと」と語っていたという。そうだ。急ぐ必要はない。時間はたっぷりある。

 振り返れば、いいときばかりではなかった。辛かったり、苦しいときの方が多かった。それでも、立ち止まらなかった。考え、工夫し、継続した。それを続けたからこそ、最後は惜しみない拍手に包まれた。一つのことをやり通せば、こんな世界もある。阪神の選手に伝えたかったからこそ、藤川は最後の一瞬にもこだわった。

 「球児」とタイトルが付けられた詩がある。作者は作詞家・阿久悠。97年8月16日の本紙に掲載されたものだ。まだ無名の、高校2年生の、そして平安戦で敗戦投手となった藤川の姿に、阿久悠は何かを感じたのだ。

   「球児」
 球児という名前は
 予感で命名したのだろうか
 それとも
 予言の意図で付けたのだろうか
 きみを見ていると
 そんなことすら考えてしまう
 夢の結実の感じさえする
 高知商・藤川球児投手
 きみには 甲子園が
 実に実によく似合う

 この日 甲子園は膨張する
 青空もある 眩しい光もある
 風物と化して満喫する
 五万の客もいる
 いい時の いい気分の甲子園だ
 その中で
 きみは投げる
 大型左腕を向うにまわして
 対等の力を見せる
 少年のまっすぐさで投げこみ
 動物の機敏さで反応する
 体が投手なのだ
 気持が投手なのだ
 ふと すべての人が錯覚する
 スコアボードの一回表に
 重たい4の字が入っていることを忘れ
 0対0だと思いこんでいることに
 今更のように驚く
 緊張も快感も0対0だった

 8回 6安打 10三振 1四球
 失点5の敗戦投手
 だが 人々は 既に
 来年を待っている
 「来年また来いよ」は
 決してなぐさめの言葉ではない
(原文まま)

 ピンクレディーのヒット曲「サウスポー」で阿久悠は打者をきりきり舞いさせる魔球ハリケーンを創造した。エンターテインメントの第一線で活躍した感性が「きみには甲子園が実に実によく似合う」と言わせ「体が投手なのだ」「気持が投手なのだ」の言葉を選ばせた。藤川球児という名の磁力が引き寄せた詩と言えるだろう。

 その磁力で多くの出会いを作り、多くの感動を生んだ野球人生。「いろいろなことを達成したり、一つにするっていうのは時間がかかる。一つずつ、前向きにやっていけば10年かかるのか、20年かかるのかわからないけど、必ずいい方向に進む。こういう生き方があるんだなと、その日暮らしじゃないんだなというところを、ファンの人にも分かっていただけたんじゃないかな」。藤川は、そう語った。信念を持った歩みだった。

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