ソフトB・中村晃 V犠飛に安堵「打つ方で貢献できた」「川村さんのために長く野球を続けたい」

[ 2020年10月28日 05:30 ]

ソフトバンク 3年ぶりリーグ制覇 ( 2020年10月27日 )

川村さん(右)とダンスを披露する中村晃(福岡ソフトバンクホークス公式ツイッターから)

 【独占手記】優勝が決まる試合で、先制犠飛を打てて良かった。勝ててホッとしている。3年前のリーグ優勝は打つ方で貢献できなかった。数字は大したことはないが、今年は打つ方で勝利に貢献できたシーズンだったと思う。そこが一番の違い。本当にうれしい。

 コロナの影響で開幕が延期になったときは、1年間、野球ができないまま終わってしまうのかなと思った。メドが立たない中、気持ちを保つのが大変だった。5月の自主練習のときは体調が悪くて、球場に行けないことがあった。コロナを疑った。すぐにPCR検査を受けられる状況でもなかったから、なるべく人と接触しないようにしていた。

 開幕前に両膝に痛みが出てリハビリ組で調整となった。6月19日にファームの開幕戦で復帰したときも痛かった。7月に1軍に上がったときも痛みは消えなかった。付き合いながらやるしかない。そう思ってやってきた。痛みはゼロにはならないが、10月くらいから落ち着いてきた。

 9月に川村さんが亡くなった。本当に信じられなかった。ロッカーでみんなで泣いた。入団したときからお世話になった、お父さんのような人。ダンスとか、キャンプ中に2人で動画撮影するのが恒例だった。最初にやったときにみんなが見てくれて何となく続けてきた。何かあれば相談した。オフのトレーニングのメニューを考えてもらったこともある。プレーだけではなく精神的に助けてもらった。リハビリ中だった去年の7月くらいに、ケガをしている選手数人で、川村さんと食事に行った。そのときも元気づけてもらった。本当にありがたかった。今年は優勝をささげたいという思いはもちろんあった。それ以上に川村さんのために、長く野球を続けたいと思った。それが一番、喜んでくれると思う。

 今年から選手会長になった。こういう状況で球団の方と話す機会も多かった。いい経験になっているし、勉強になった。コロナの感染が広がったときは、医療従事者の方に何かできることはないか球団にも相談した。母親が看護師をしていて大変さはよく分かっている。何か力になれたらと思っていた。寄付することで、有効活用してほしいと思った。

 今年のチームは周東や栗原が出てきて、若い選手が頑張った。オフに自主トレを一緒にやっている栗原は試合に出れば活躍するとは思っていたから、驚きはない。もっと打てると思っている。
 CS、日本シリーズでは去年みたいに勝ち続けることができたら最高だと思う。短期決戦では調子を落とすと試合に出られなくなる。いい活躍ができるように準備をして、最後まで頑張りたい。
(福岡ソフトバンクホークス外野手)

 ◆中村 晃(なかむら・あきら)1989年(平元)11月5日生まれ、埼玉県朝霞市出身の30歳。帝京で2年夏から3季連続で出場した甲子園は2、3年夏に8強。07年高校生ドラフト3巡目でソフトバンク入り。14年に最多安打のタイトルを獲得。今年9月17日の日本ハム戦で通算1000安打達成。1メートル76、83キロ。左投げ左打ち。

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