“打撃の神様”川上哲治氏「球が止まって見えた」の真意

[ 2020年9月29日 09:00 ]

現役時代の川上哲治氏

 打撃の神様と言われた川上哲治氏はかつて「球が止まって見えた」と言った。言葉が独り歩きして間違った理解をしている人も多いと思う。これは30歳の時に、「タイミング」が自分のものになった感覚を言ったものだ。

 川上哲治生誕100年の今季、同氏の偉業を取材すればするほど面白い。「赤バット」「弾丸ライナー」。代名詞とされる言葉にも裏話がある。長男でノンフィクション作家の貴光(よしてる)氏(74)から聞いた。

 赤バットを、初めて使ったのは戦前。バットが折れた際に、用具メーカーの担当者から「新しいのを持って来ます。何色にしますか?」と聞かれ、冗談で「じゃあ赤にでもしとくか」と言ったのがきっかけだった。

 戦後にもう一度、用具メーカーが宣伝のために持参した赤バットを使用している。大下弘の「青バット」に対抗する目的と、「赤いリンゴに口びるよせて~」という「リンゴの唄」がはやってたいうこともあったという。戦前も戦後もすぐに折れてしまい、使用期間は1年に満たないほどで極めて短かった。それでも、印象は強烈だったのだろう。

 今でも頻繁に使われる「弾丸ライナー」という言葉。戦時中も開催されていたプロ野球で、「弾丸」は戦争を色濃く象徴し、称賛に値する言葉だった。それを知ったときは、言葉の持つ歴史の深さを感じた。

 止まって見えた球の話に戻る。現役引退から約20年通った正眼寺で行われた禅の「公案」の際、老師から「その球をここに出してみなさい」と問われている。今、手元にないものをどうやって出すのか。長年、問答を考え抜いた川上氏は「打った球は私でした」という答えに達したという。

 貴光氏によると「球と自分が一体化して、分け隔てできないくらい極限になった。単にバッティングを極めたということではない。その経験こそ、今後の人生に生かしていける方法」ということなのだ。(記者コラム・神田 佑)

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