若いアスリートたちには競争と挫折が必要なのだ

[ 2020年8月24日 14:35 ]

群馬大会決勝<桐生第一・健大高崎>敗れて涙を流す健大高崎・下(右)(撮影・久冨木 修)
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 【君島圭介のスポーツと人間】米国の作家ボブ・グリーン氏は、かつて「社会的に成功した人物は大抵、学生時代に同じ体験をしている」と指摘した。グリーン氏は新聞社のコラムニストという立場から企業経営者や名医、裕福な弁護士、プロスポーツ選手など多くの、いわゆる社会的成功者に接してきた。

 そして彼らが学生時代にスポーツで選別を受け、または大きな失敗を犯し、それを恨み、悔いているという共通点を見いだした。フットボールチームに応募したがセレクションで落選したり、野球の試合で勝敗を決するエラーをしたりと競争に敗れた体験が多い。その挫折から何かを学んで、屈辱をバネに替えた人物が後に社会で大きな成功を収める例が多いというのだ。

 日本にも「若いときの苦労は買ってでもせよ」ということわざがある。新型コロナウイルスの影響で全国各地で多くのスポーツイベントが中止になった。「子どものスポーツは不要不急ではない」という意見もあるが、そうだろうか。まだ社会経験の少ない彼らだからこそ、グリーン氏が指摘したようにスポーツという「偽社会」で挫折を味わうことが必要ではないだろうか。

 この夏、高校野球は各都道府県で独自大会を開催した。全国という目標のないトーナメントに子どもたちのモチベーションは上がるのか心配もあった。8月10日、群馬県前橋市で桐生第一―健康福祉大高崎の決勝戦が行われた。中盤、桐生第一に満塁本塁打が出た。健大高崎は最終回に足を絡めた猛攻で追い上げたが敗れた。素晴らしい試合だった。

 両校ともすでに甲子園で開催する交流試合に出場が決まっていた。決勝戦で死力を尽くしたナインは清々しい表情を浮かべているかと思ったが違った。健大高崎の背番号1、下慎之介は号泣していた。プロ球団も注目する左腕は「粘って1点差なら自分たちの野球ができた。6回の4点(満塁被弾)が悔しい。みんなに申し訳ない」と声を絞りだした。

 汗まみれの下の姿を見て、「素晴らしい経験が出来たね」と声をかけたかった。人前で嗚咽(おえつ)に震えることはスポーツの特権だ。初戦で大敗し、力不足を実感した子もいただろう。下のようにチームを背負い、仲間に「申し訳ない」と涙した子もいる。この夏もそれぞれが、それぞれの挫折を味わうことが出来たのだ。

 高校野球に限らず、他競技でも独自大会が開催された。千葉県テニス協会が主催した小中高の最上級生による独自大会を観戦した。小学6年生の部の頂点に立った子は、チャンピオンスピーチで「この大会を開いてもらって感謝します」と言った。高校野球の独自大会でも多くの選手が口にした言葉だ。

 コロナ禍でたくさんの犠牲を強いられた子たちだが、一方で大会開催に尽力する大人たちの姿に「感謝」の精神も育てられた。それは本当に貴重な体験になった。(専門委員) 

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