【内田雅也の追球】「藤浪晋太郎」を演じる 生身の自分を出す 矢野監督指摘の「相手目線」

[ 2020年8月15日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神0-6広島 ( 2020年8月14日    京セラドーム )

女優・岡田茉莉子の甲子園での始球式を伝える1989年4月12日付のスポニチ本紙
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 女優・岡田茉莉子は100作目記念の映画『秋津温泉』(1962年)で戦争末期から戦後を生きるヒロイン、新子を演じた。監督は翌年結婚する吉田喜重だった。

 映画の序盤。玉音放送を聴き「何をおっしゃっているのか、難しくって分からないわ」とつぶやくシーンがある。

 1945(昭和20)年8月15日は12歳で迎えている。疎開先、新潟の農村での実体験と同じで<遠いあの日の記憶、その光景が生々しくよみがえり、私自身、演技しているという意識はなかった>と自伝『女優 岡田茉莉子』(文春文庫)にある。きょう15日は75年目の終戦の日だ。

 阪神は14日、京セラドーム大阪でまさに完敗に終わった。広島の新人・森下暢仁に2安打零敗、先発全員三振を喫した。完敗である。

 打線以上に気になったのは先発で6回6失点した藤浪晋太郎である。全く「らしさ」が消えていたからだ。

 敗戦後、監督・矢野燿大が「自分の目線ばかりでなく、相手にどう見られているかを見ていかないと」と語っている。自分がどう見られているか、相手の立場で見つめ直す、とは示唆に富んだ言葉である。

 藤浪自身は初回「大事に入りすぎた」と語っている。誰もが不安な立ち上がりだが、慎重に過ぎたようだ。

 コーナーを突こうとして外れ、ボールが先行していた。打者1巡目に対した9人で、初球ストライクだったのは、初回先頭で中前打された西川龍馬への外角高め直球だけだった。カウントを悪くしてストライクを取りに行き、快打された。スピードガンの数字はともかく、球威がなかったのだろう。

 本来、荒れ球で球威やキレで抑え込む投手のはずが、制球のいい投手を演じようとして自分を見失っていたようだ。

 岡田茉莉子は映画『浮雲』で共演した高峰秀子が<与えられた役を演じるというより、高峰秀子、その人を演じておられた>と先の自伝に書いている。自身も後に<岡田茉莉子が岡田茉莉子を演じている>という理想がかなった。自分を殺さずに<生身の女>を演じるわけである。

 野球選手もプロならば役者でなければならない。「ミスタープロ野球」長嶋茂雄が「長嶋茂雄を演じている」と語ったのは本当の話だそうだ。天真らんまん、エネルギッシュで勝負強い。演じていたのは、生身の長嶋茂雄の姿だった。

 藤浪もスポットライトを浴びる、あの周囲より小高いマウンドという舞台の上で「藤浪晋太郎」を演じるべきだろう。堂々と自分を出せばいい。

 そのためには矢野が言う「相手がどう見ているか」という、違った目線が必要になる。相手打者やベンチは藤浪の荒れ球に怖さを感じているはずだ。若き日のノーラン・ライアンやランディ・ジョンソンや村田兆治や野茂英雄や……と荒れ球で好成績を残した剛腕はいくらもいる。

 敗れはしたが、終戦の日を復興へのスタートの日にしようではないか。

 余談だが、岡田茉莉子は阪神ファンである。プロ野球の老監督を扱った映画『男ありて』(1957年)に出演して野球を覚え――撮影の合間にキャッチボールする写真を見たことがある――村山実らとの交流で阪神びいきとなったそうだ。

 入社1年目の1985(昭和60)年、優勝に向かう阪神について、何度か東京の自宅に電話して、コメントをいただいた。大女優が阪神について気安く答えてくれた。

 その村山が監督だった1989年4月11日には甲子園球場での阪神―巨人戦で始球式の投手も務めた。まだアイドルや女性タレントの始球式などなかった時代、「恐らく甲子園で女性が始球式をするのは初めて」と関係者が話していた。

 岡田茉莉子も藤浪の復活を願っていることだろう。=敬称略=(編集委員)

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