球児の夏が始まった!岩手で全国に先駆けて代替大会開幕 水沢、快勝で県大会進出

[ 2020年7月2日 05:30 ]

岩手県大会 北奥地区予選代表決定戦   水沢12―2前沢・水沢農・北上翔南 ( 2020年7月1日    しんきん森山 )

試合に勝ち、距離を取り校歌を歌う水沢ナイン
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 都道府県高野連が独自に開催する代替大会が1日、全国の先陣を切って岩手県の2つの地区予選から始まった。北奥地区の代表決定戦では水沢が前沢・水沢農・北上翔南を12―2で下し、県大会への進出を決めた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、夏の甲子園大会と代表校を決める地方大会も中止となり、目標を失いかけた球児たちが真剣勝負を繰り広げた。

 整列した選手の間隔は空いていた。だが一体感ある声で、校歌を歌い上げた。応援は基本的に拍手のみで、試合開始時の礼も発声は禁止。だが校歌は別だった。ナインは心から声を張り上げた。

 「仲間たちとグラウンドで校歌を歌う喜びは言葉では表現できません…。大会関係者の方が校歌に対する思い、誇りを大事に考えてくださって、歌うことを許されたのだと思います。ただ、一つでも多く勝って一回でも多く歌いたい。勝てた今日、強く思うことができました」

 そう話した及川元主将(3年)の声は弾んでいた。試合は仲間を思う気持ちがビッグイニングを生んだ。先発した神田燦汰(さんた)投手(3年)が2回の攻撃で頭部死球を受け、臨時代走を送られた。仲間をもう一度マウンドへ――。2番・遊撃で出場した及川の左前2点打を皮切りに、この回6点を取り回復の時間を与えた。次の回に再びマウンドへ戻った神田は3回2安打1失点。救援の佐藤へバトンを託した。

 新型コロナウイルスの影響で、5月20日に夏の甲子園の中止が決まった。全国で唯一、岩手県は感染者を出していないのに…。目標を失った部員の落ち込む姿を見た佐々木明志監督は決断した。高田(岩手)監督時代の11年、東日本大震災を経験した当時のことを19年3月の赴任以来、初めて話した。「なかなか震災の経験は話せるものじゃない。でも、今年の3年生の状況を見て今だなと思った」。スライドを用いて震災当時の様子と経験を伝えた。

 及川主将は指揮官の言葉に「生徒は野球ができることに感謝の気持ちが芽生えた」という。チームを一つにまとめるため、自主的に3年生と個別で面談を行った。悩みや不安を一人一人と話し合い「最後の舞台へ向かって一丸となろう」と呼び掛けた。

 チームはぬかるんだグラウンドの中、必死に白球を追い、3年生にとって最後の夏を勝利でスタートさせた。「母校の校歌を聞けて良かったです」と高校時代は外野手だった佐々木監督もほほ笑んだ。11人の3年生を中心とした水沢の特別な夏。降り注いでいた雨は試合前に上がり、試合後には球児を暖かい日の光が包み込んだ。(柳内 遼平)

 ≪連載「復興へのプレーボール」震災1年後に手記≫スポニチ本紙では「復興へのプレーボール」と題し、2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県立高田高校野球部に密着した連載を掲載した。同部の姿を通して被災地の「現在」を伝えることを目的とし、同年5月から翌12年3月まで毎月3回、同7月まで月1回で掲載。佐々木明志監督は震災時の同校監督を務め、1年後の3月11日には「多くの人の温かさに触れ、野球ができる喜びを純粋に感じた。とても長く感じた1年だったが、高校野球の指導者になって良かった」と手記を寄せた。その後、13年4月から岩手県高野連の事務局長、理事長を歴任。根尾昂(現中日)、吉田輝星(現日本ハム)らが出場した18年9月のU18アジア選手権では、総務として高校日本代表に同行し、19年3月から母校の水沢で現場復帰を果たした。

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