【内田雅也の追球】奇跡への「三銃士」――3外国人が働き、逆転勝利した阪神

[ 2020年6月28日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神8―6DeNA ( 2020年6月27日    横浜 )

「西鉄の三銃士」と呼ばれた(左から)ウィルソン、ロイ、バーマ
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 奇跡という言葉をあまり安売りしたくないが、1点ビハインドで9回表2死無走者の「あと1人」、フルカウントの「あと1球」まで追い詰められながらの逆転である。奇跡と呼んでもいいだろう。

 逆転決勝3ランのジェリー・サンズはむろん大ヒーローだが「あと1球」の低め落ちる球(山崎康晃の「亜大ツーシーム」)を見極めたジェフリー・マルテも素晴らしい。打撃好調の要因となっている選球と、あきらめない不屈の姿勢が光った。代走・植田海の決死の二盗にはしびれた。

 サンズは転倒しながらの飛球好捕(4回裏)や進塁打(8回表)もあった。ジャスティン・ボーアはシフトの逆を突く形で左前へ初の適時打に二盗(ともに1回表)まで決めている。

 開幕2軍だったサンズの1軍初昇格で外国人打者3人が初めて先発メンバーに名を連ねた試合は3人ともが働いて、勝利をもぎ取った。

 過去、外国人打者3人を活用した代表例に1963(昭和38)年の西鉄(現西武)がある。66年に2人に制限されるまで外国人枠は3人だった。ただ、打者3人をラインアップに並べる打線は当時では珍しかった。トニー・ロイ、ジム・バーマ、ジョージ・ウィルソンで「西鉄の三銃士」と呼ばれた。

 監督は選手兼任で中西太だった。54年から58年の5年間で4度優勝するなど、西鉄黄金時代を監督として率いた三原脩から「息子(娘婿=中西)を助けてやってほしい」と頼まれ、ヘッドコーチに就いた阪神OBの若林忠志が獲得した。ハワイ生まれの日系2世だった若林は大リーグ人脈に通じていた。

 3選手は福岡・鳥飼に稲尾和久が建てたばかりの店舗兼住宅「稲尾ビル」で暮らした。稲尾は球団から「外国人が住むので天井を高くしてほしい」との要望に応じて改装した。2階に稲尾、若林、ウィルソン、3階にバーマ、4階にロイの家族が入った。

 中西が<若林さんの英語は流ちょうで、外国人選手を溶け込ませるのに抜群>と著書『活人術』(小学館)に記した。<元来、明るい連中である。カタコトの日本語が充満し、ベンチの中は一挙に陽気になった>。3人は互いに刺激しあい、また励まし合う相乗効果があった。

 阪神の3人も明るい。さらに、ひたむきで懸命である。反撃への起爆剤となれるかどうか。

 西鉄の3人は当初は打撃が振るわず、周囲から相当に批判された。中西は「精神面で切れてしまってはおしまいだよ」と諭し、辛抱の起用を続けた。6月で首位・南海(現ソフトバンク)と最大14・5ゲーム差を逆転しての優勝は「奇跡」と呼ばれた。優勝後、中西は<選手と抱き合い、ロッカーで号泣した。我慢した外国人トリオも泣いていた>。

 小説『三銃士』のダルタニャンと3人の銃士の合言葉は「一人は皆のために、皆は一人のために」。ラグビーの一丸を示す言葉で知られる。ラガーメン、たとえば平尾誠治によれば、本当の意味は「一人は皆のために、皆は一つの目的(勝利)のために」が正しいそうだ。いずれにしろ、阪神の3人も実践している姿勢である。

 奇跡が起きた試合後に順位表を見直した。首位・巨人にまだたったの3・5ゲーム差ではないか。さあ、これからである。=敬称略=(編集委員)

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