【内田雅也の猛虎監督列伝(31)第31代・真弓明信】「男の修行」批判に耐えた「ジョー」

[ 2020年5月21日 08:00 ]

09年4月3日、41歳誕生日弾の金本(中央)を木戸ヘッドコーチとともに出迎える真弓監督(右)
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 岡田彰布が辞任する2008年秋、オーナーは同年7月就任の本社社長・坂井信也、球団社長は前年6月就任の南信男だった。この坂井―南体制は17年まで続く。

 優勝を逃し辞意を漏らした岡田に南は「あと2、3年」と慰留したが、翻意は難しい。後任は作戦兼バッテリーコーチ・木戸克彦とOBの評論家・真弓明信が候補。南、坂井らの会談で真弓に一本化した。想定外の岡田辞意から実質3日間で決めた。岡田最後の舞台だったクライマックスシリーズ(CS)第1ステージ開幕前には内定し、閉幕後に正式要請、就任発表と円滑に進んだ。木戸は参謀としてヘッドコーチで入閣となった。

 真弓は通称「ジョー」と呼ばれた。太平洋(現西武)でのプロ1年目の73年7月から3カ月間、米1Aローダイ(現ランチョクカモンガ)に野球留学で派遣された。米国人に「マユミ」は発音しづらく、引率の球団重役・青木一三とコーチ・和田博実が「ジョー」と名づけたのが定着した。

 同年オフ、あの田淵幸一への「深夜の通告」があったトレードで竹之内雅史らとともにクラウン(現西武)から阪神へ移籍。強打の1番打者として85年日本一に貢献した。95年オフ、球団が用意した引退会見を拒み、自由契約となり現役続行を望んだが、獲得を申し出る球団はなく引退を表明。00―04年は監督・梨田昌孝の下、近鉄で打撃コーチ、ヘッドコーチを務めていた。

 生え抜きでないという遠慮もあっただろうか。現役時代に出した複数の著書で将来像について<監督をしようとは思わない><自分は70人の大所帯を率いていくような人間ではない>と繰り返している。自身はコーチの器で、監督には岡田が向いているとしていた。

 その岡田の後を受けた。秋季キャンプ中、柳川商(現柳川)時代の同僚で本紙評論家・若菜嘉晴との対談でJFKトリオの発展的解消を語った。「岡田監督はいいパターンを作ってくれたが、何年も頼り続けていては進歩がない」。先発陣に「あと1イニング」の踏ん張りを求めた。

 09年1月5日の年賀式には自宅が近い南と神戸から相乗りした車で甲子園の球団に出向き「秋には何度でもビールかけをしたい」と誓った。

 4月3日の初陣。開幕投手・安藤優也を7回のピンチでも続投させ、競り勝った。本紙・吉村貢司はスタンドで見守った柳川商監督で仲人でもあった福田精一の信条「耐えることは男の修行」を引用し<猛虎の将としてその教えを実践>と記した。

 前年オフに左膝手術を受けた金本知憲は4月に2度の3打席連続本塁打(史上初)。だが5月以降は月間2割台前半で阪神移籍後ワーストの打率2割6分1厘、21本塁打に終わっている。

 チームは3位を争うヤクルトに10月9日最終戦(神宮)で敗れて4位。5年ぶりBクラスでCS進出も果たせなかった。

 オフに赤星憲広引退、藤本敦士はFA移籍、今岡誠は戦力外、ジェフ・ウィリアムスも退団……と03、05年の優勝メンバーが相次いで去った。

 補強としては大リーグ・マリナーズを自由契約となった城島健司、ロッキーズからマット・マートンを獲得した。

 2年目10年。開幕前3月17日、金本が選手と激突して右肩を負傷。右肩棘(きょく)上筋部分断裂の重傷だった。満足な送球はできず、打撃も打率1割台。4月18日横浜戦(横浜)、先発から外れると申し出た金本に真弓は「何を言う。カネの名前があるだけでもチームのためになる」と励まし涙目になった。「チームのために外してください」という金本に真弓も折れ、連続フルイニング出場は世界記録の「1492試合」で止まった。

 この年「飛ぶボール」もあってか、打線は2リーグ制で球団最高打率2割9分を記録。首位争いを演じた。9月30日の中日戦(甲子園)では現役引退を発表していた矢野燿大がベンチ入り。9回表、藤川球児が逆転3ランを浴び、矢野の出番も消えた。翌10月1日、広島に零敗し、2位が決定。中日が優勝した。

 CSは第1ステージで3位巨人に連敗し、短期決戦の弱さを露呈した。

 11年は3月11日に発生した東日本大震災で開幕は17日間延期となった。40年ぶりの甲子園での開幕戦勝利で幕を開けた。

 4月15日の中日戦(ナゴヤドーム)では8回表二死一塁で金本を代打に起用。一塁走者の二盗失敗で連続試合出場が1766で止まった。

 統一球の影響か、前年猛威をふるった打線が不振。交流戦期間中には借金11で最下位に沈んだ。

 6月16日の阪急阪神ホールディングス(HD)株主総会では真弓に対し「選手使い切れていない」「コメントがファンと同じ」「監督を補強せよ」……と株主から痛烈な批判が相次いだ。

 球団はこの年から新たに2年契約を結んでいたが、世間からの批判に真弓続投の方針が揺らいだ。坂井は9月29日、「腹の中に考えはある。結果(順位)が出るまで言わない」と注目発言。球団内で「Bクラスなら退任」の方針を固めた。

 次期監督候補に評論家で近鉄コーチ時代の監督だった梨田の名前があがるなか、4位が確定。新監督には打撃コーチ・和田豊の昇格を決めた。

 真弓は10月25日、大阪・野田の電鉄本社で退団会見に臨み「いろいろ言うと言い訳になる。監督として力がなかったということ」と静かに語った。「男の修行」を全うしたのである。=敬称略=(編集委員)

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