泣いて笑った09年CSラスト6試合 野村監督、最後のボヤキ「もう1年…」

[ 2020年4月30日 05:45 ]

09年CS第2ステージ第4戦終了後、両軍の選手らから胴上げされる野村監督
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 【忘れられない1ページ~取材ノートから~】2月11日に4球団の監督を歴任した野村克也氏が84歳で死去した。監督として3度の日本一に輝くなど歴代5位の通算1565勝を挙げた「ノムさん」。楽天の監督として09年10月に行われたパ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)での怒りあり、笑いあり、涙ありの監督生活「最後の6試合」を振り返る。(春川 英樹)

 表紙の水色が色あせた取材ノート。09年パ・リーグCS第1Sの初戦前日だった09年10月15日に重要コメントとして赤線を引いた言葉がある。

 「CSに出た監督で初めてクビになる。ふぬけの心境。待っているのは解雇だけ。ただ、意地もあるしな。意地シリーズや」

 監督・野村克也の最後の戦いを前にした心境。その日のメモは「ちょっと選手にひと言、言いたいんだよ。何て言ったらいいかな…」で終わっていた。

 レギュラーシーズン最終戦だった10月11日。ソフトバンク戦の試合後に球団から単年契約の契約満了、続投なしを正式通告された。球団初のAクラス、2位でCSに初進出。「日本一になって辞めさせられるか?」と繰り返し口にしていた、続投への望みは完全消滅した。「何て言ったらいいかな…」と逡巡(しゅんじゅん)していた選手への報告は、16日のソフトバンクとのCS第1S初戦の試合前ミーティングだった。

 ナインに退任を告げると、次第に声は震えていった。「日本一になっても来年は(続投は)ないと言われた。一日も長く、みんなと野球がやりたかった。申し訳ない。お世話になりました」。嗚咽(おえつ)交じりで頭を下げて部屋を出た。当時の橋上秀樹ヘッドコーチ(現BC新潟監督)も「(ヤクルトの)現役時代から見ているけど、監督のあんな姿は初めて見た」と回顧した。初めて選手の前で見せた弱い姿。涙のCS突入だった。

 第1Sは岩隈、田中の連続完投勝利で圧倒。勢いは第2S初戦も続いた。先発の3年目右腕・永井が7回まで1失点。一時は6―1と主導権を握った。だが8―4の最終回に悪夢が待っていた。1点を返されてなお1死満塁で打者・スレッジ。守護神・福盛の速球は左翼席最前列に運ばれた。ポストシーズン史上初の逆転満塁サヨナラ本塁打。野村監督は試合後「うっかりしていた。俺のミス」とうなだれた。シーズン最終戦から9日間、実戦登板できなかった中継ぎ陣の調整失敗。完全に流れを手放した。第3戦の田中の完投勝利で一矢報いたが、逆転突破の余力はなかった。

 プロ野球監督通算24年目。最後の試合の采配は「情の采配」だった。10月24日の第4戦。4―6の8回2死二、三塁でスレッジを迎えると、マウンドに岩隈を送り出した。第2戦は8回125球完投敗戦。中1日でブルペン待機を志願していた。結局、ダメ押しの3ランを浴びた。就任以来、岩隈には厳しい言葉を並べ続けた指揮官だが、最後は穏やかだった。実際は敬遠を指示したが「勝負させてください」との思いを受け入れた。「いかせてくれって言うのでしょうがない。慣れないことをやらせちゃったね」。打たれたことよりもブルペン待機を志願した岩隈を、かばって照れくさそうに笑っていた。

 最後の戦いを終え、右翼席のファンの前で両軍ナインから胴上げされた。「感無量。野球屋冥利(みょうり)に尽きる」。最後の記事にはその言葉を選んだ。だが、他に赤線を引いたコメントもあった。

「わがまま言わせてもらえれば、もう1年やらせてもらいたかった。まだ、選手にやってほしいことがいっぱいあった」

 今でもこれが本音だと思っている。

《野村監督ラスト語録》
 ◎「大盤振る舞い?“小盤”だけどね」(CS開幕2日前の10月14日、選手、裏方が仙台市内で決起集会を行うと聞き、ポケットマネーを差し入れ)

 ◎「ブラウン、吹っ飛べ!こりゃ重い。投げるの大変や。50年以上もこの世界にいて、こんなに重いとは知らなんだ」(14日の練習終了後、後任に名が挙がっていたブラウン前広島監督を念頭に三塁ベース投げ)

 ◎「その番号(19番)は運がないぞ。俺が全部吸い取った。インケツ番号や」(16日、シダックス時代の教え子であるソフトバンク・森福=当時=からあいさつされ)

 ◎「来年、夢も希望もない。あんたら若い人には分からんだろう。死刑宣告を受けた人と同じ心境だ」(22日、前夜の逆転サヨナラ満塁弾での敗戦を受け)

 ◎「おまえら今日で終わりのつもりであいさつに来たんやろ」(23日、あいさつに訪れた日本ハム・稲葉と坪井に)

 ◎「就職お願いします。明日から浪人です」(24日の試合後、取材の第一声)

 《“手を焼いた”悪童リンデン》初のCS進出、進退問題と並行して発生したのが「悪童リンデン=写真=問題」だった。7月に加入した両打ちの外野手で打率.292、12本塁打をマークも、シーズン最終戦前日の10月10日にスタメンから外れ、野村監督らに侮辱的発言。翌11日に出場選手登録を抹消された。13日にTシャツ、ハーフパンツでポケットに手を突っ込んだままの謝罪を注意され逆上。第1Sは不在も20日に再度、スーツでの謝罪を受け第2Sの戦列に加えた。「俺は情にもろいんや、結局。俺の欠点」と野村監督は話していた。

 《日本ハムも胴上げ参加》1面を飾ったのは楽天、日本ハム両軍による胴上げだった。当初は楽天のみで実施する予定だったが、王手をかけられた後に、橋上ヘッドコーチが日本ハム側に「セレモニー後に時間をください」と依頼。すると日本ハム・梨田監督は「ノムさんのこれまでの功績を考えたら、我々も参加したい」と返答。ヤクルト時代の教え子だった稲葉(現日本代表監督)、吉井投手コーチも参加を表明した。2面、3面まで野村楽天一色となった。

 《記者フリートーク》第2Sで0勝3敗と王手をかけられたナイター後。野村監督は、当時の三木谷球団会長(現オーナー)と札幌市内で会談した。日付も変わった深夜、宿舎ホテルのロビーで帰りを待ち続けた担当記者の前に現れた指揮官からは、すっかり毒気が消えていた。年俸1億円で「3年任期の名誉監督」の条件提示。そこからうそのように球団批判は消えた。去就が不透明だったあるコーチは「自分だけ再就職決めやがって」と憤慨した。敗退翌日、6コーチに解任通告。だが、後日コーチ陣には「CSボーナス」が振り込まれた。野村監督が球団に頼み込んで支払われた「せめてもの罪滅ぼし」だった。

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