【95年センバツ第67回大会】阪神大震災後「勇気」もたらしたアーチ競演

[ 2020年3月25日 09:00 ]

センバツあの日の記憶~高校野球ファンに贈る~

<PL学園・銚子商>1回、銚子商・沢井が右越えに先制ソロを放つ
Photo By スポニチ

 95年1月17日に発生した阪神大震災により甲子園近郊は被災地と化した。しかし「復興・勇気・希望」をスローガンにセンバツ開催を決めた日本高野連は運営法を変更。組み合わせ抽選日の繰り上げや1日3試合制、鳴り物の応援自粛に選手の甲子園への電車利用を呼び掛けた。

 その自粛ムードの中、大会初日の好カードが「勇気」を与えた。PL学園・福留孝介(現阪神)、銚子商・沢井良輔(元ロッテ)のアーチ競演だ。まず沢井が初回に先制弾を放つと、福留も3回に特大3ランで応酬。壮絶な打撃戦は延長11回、銚子商・山本啓樹の2ランで勝負がついた。「いい角度で打球が上がった」。大会1号に胸を張る沢井と対照的に福留は「甲子園で4割打つのが目標だったのに…」とうなだれた。

 大声援に後押しされ銚子商は決勝進出。74年夏以来の全国制覇は観音寺中央(香川)に阻まれたが「黒潮打線復活」を印象づけた。総観客数は前年比14万人減となったが、日本高野連の牧野直隆会長(当時)は「やってよかった」と総括した。

 ☆第67回大会(95年) 震災の被害が大きかった兵庫県からは神港学園、育英、報徳学園の3校が出場。同県から3校同時出場は戦後初だったが、いずれも初戦を突破し地元に勇気を与えた。今治西・藤井が3試合連続2桁奪三振を記録するも、準々決勝で左前腕部肉離れを起こし途中降板となった。優勝したのは観音寺中央。初出場ながら東海大相模、星稜、関西など常連校を次々に撃破。決勝では銚子商を4―0で下し15校目の初出場初優勝を果たした。

続きを表示

この記事のフォト

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2020年3月25日のニュース