【球春ヒストリー(2)】1998年・関大第一 「平成の怪物」松坂と戦った男

[ 2020年3月21日 07:45 ]

98年選抜決勝、7回、打者・横浜の松坂(左)の時、関大第一・久保(中)が暴投し三塁走者・柴が生還する
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 1998年の第70回大会はのちに春夏連覇を達成し「平成の怪物」と称された横浜・松坂(現西武)が甲子園デビューを果たした大会でもある。同じく出場した東福岡の村田修一(現巨人2軍野手総合コーチ)ら、のちに多くの同学年がプロで活躍し「松坂世代」と呼ばれる黄金世代。関大第一のエースだった久保康友も怪物と戦った一人だ。

 「(松坂世代と)呼ばれて嫌なやつも多い。自分の方が上と思っているのに、なんでひとまとめにされるねんと。僕はそもそも何もなかったのが、話題にあげてもらってるからラッキーと」
 前年秋の近畿大会で8強入り。当時としては大会史上最長ブランクとなる69年ぶり出場で注目を集めたが、実力的には2番手グループ。「1回は勝ちたいな」と臨んだ初戦の2回戦・鈴鹿戦は大量14点の援護をもらい被安打4で1失点完投。3回戦以降は接戦をモノにし続け「公立校が勝ち上がっていく感じ」と表現する快進撃で横浜との決勝にまでコマを進めた。

 「松坂が(準決勝で)PLに勝って、優勝やみたいなことを言ったのを聞き、そりゃそやなと(笑い)。勝てると思ってなかった。いい思い出をつくろうと。1点取ろう。どうやって取る? スクイズ? 三塁までいかんやろ。まず誰がヒット打つねん…と」

 2回に1点を先制され7回には暴投も絡み痛恨の2点を失った。13安打を浴びながら3失点完投したが、松坂の前に4安打完封負けを喫した。

 「(松坂は)同じ投手として全然違った。別物。トップクラスの選手とは(その後も)何試合かやったがトップの中のトップやなと。決勝は完全に手を抜いていたのが分かった。遊ばれていた」

 松下電器(現パナソニック)を経て、松坂世代最後の大物といわれ04年自由獲得枠でロッテ入団。06年6月24日の西武戦でプロで唯一の先発対決が実現したが、松坂が初回に負傷降板し自身は6回1/34失点で敗戦投手となった。

 17年にDeNA退団後も海外にプレーの場を求め昨年はメキシカンリーグでプレーした。今季の所属先は決まっていないが「高いレベルの知識と技術力を見ることで、ステップアップするために必要なものを気づけた」と感謝する“ライバル”に負けじとトレーニングを積んでいる。

 ◆久保 康友(くぼ・やすとも)1980年8月6日生まれ、奈良県橿原市出身の39歳。関大第一では3年春夏に甲子園出場し春は準優勝で夏は8強入り。松下電器(現パナソニック)を経て04年自由獲得枠でロッテ入団し1年目の05年に新人王。阪神、DeNAでもプレーし通算304試合登板で97勝86敗6セーブ、防御率3・70。18年は米国の独立リーグ、19年はメキシカンリーグでプレーした。1メートル81、81キロ。右投げ右打ち。

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