日本ハム 名護新球場は札幌ドーム規格!この広さ採用の一因に球団OB新庄氏のひと言があった

[ 2020年1月30日 05:30 ]

タピックスタジアム名護
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 元号が令和に変わってから初となる春季キャンプが、2月1日に12球団一斉にスタートする。日本ハムはタピックスタジアム名護(旧名護市営球場)の大規模改修終了に伴い、5年ぶりに1軍キャンプの全日程を沖縄県名護市で行う。新旧球場の変更点、名護キャンプの歴史を振り返る。

 左翼後方にコバルトブルーの東シナ海を望むタピックスタジアム名護。老朽化に伴い、17年の春季キャンプ後から改修工事が行われ、約2年半かけて見違える姿に生まれ変わった。総工費は右翼後方のブルペンを合わせて47億9000万円。日本ハムの川村浩二球団社長は「四十数年、名護で鍛えた選手が活躍してきた。随分、球団としての意見を名護市にお願いし、取り入れられ、立派な施設になった。また、ここから新しく活躍する選手が生まれてくれたら」とニュースター誕生を期待した。

 球場の規格は日本ハムの本拠・札幌ドームと同じ両翼100メートル、中堅122メートル。実は球場の規格が大きくなった一因に球団OBの新庄剛志氏のひと言があった。球場建設に携わった名護市役所の桃原(とうばる)泰明さんが明かす。「新庄さんが“中堅までの距離が118メートルなら肩のいい選手なら1人で投げられてしまう。122メートルになれば(内外野の)中継練習ができる。この4メートルが大きいんですよ”と言っていた」。強肩を誇った新庄氏が在籍したのは06年までだが、当時の意見が遺産として受け継がれた形となった。

 内野席は旧球場の2000席から5300席に増席。内野席の大半を覆う屋根は、沖縄セルラースタジアム那覇に次ぐ県内2番目の大きさとなった。沖縄の強い日差しや雨をしのぐ観客への配慮。ベンチも40人程度が収容できるほどに拡張。28日から同球場で先乗り自主トレを開始した大田は「こういうグラウンドでユニホームを着てやれる幸せを感じる。球場が新しくなって、新しいファイターズのスタートが切れると思う」と感謝した。

 旧球場で左翼後方にあったブルペンは、右翼後方に移設された。これまでより1レーン増やして最大6人の投手が同時に投球練習することが可能となった。さらに、うち5レーンは札幌ドームと同じ赤土を使用。マウンドの硬さも本拠と同じ硬さに近づけた。そのブルペンは先乗り自主トレ組の井口と堀が29日に投手陣で初めて試投。キャンプ中から札幌ドームに近い環境で投げ込みができるメリットがある。

 大規模改修中は1次キャンプを米アリゾナで行い、2次キャンプを名護で行ってきたが、渡具知武豊名護市長は「先人がここまで築き上げてきた日本ハムとの関係を発展させていきたい」と今後のキャンプ地一本化に期待。川村球団社長も「末永く名護市さんとともに、と考えている」と今後の春季キャンプ継続を明言した。 (東尾 洋樹)

 【日本ハムと名護キャンプ】

 ☆キャンプ開始 1979年から徳島・鳴門キャンプ後に投手陣が2週間、名護で調整したのが始まり。旧球場が完成した81年から日本ハムの1軍が本格的にキャンプをスタートさせた。

 ☆室内練習場 90年に室内練習場が完成。97年には室内練習場が土から人工芝に。12年には現在のあけみおSKYドームが完成した。

 ☆黒土&照明 96年に沖縄特有の赤土から黒土へ変更。97年にはナイター設備も備わった。

 ☆工事 日本ハムが15年4月に翌16年から第1次キャンプを米アリゾナ州で行うと発表。名護市営球場は17年3月より解体工事が始まった。 

 ☆命名権 名護市は新球場から命名権を導入。医療法人タピックが年間1555万円で20年2月1日から5年間の契約を結んだ。

 ≪スコアボードも一新≫スコアボードも大幅に一新された。旧球場は手書きでボードに選手名を記しスコアボード裏で手作業で選手交代を入れ替えていたが、電光掲示板に変更。球速表示機能もスコアボードとネット裏の2カ所に備えられた。球場内のブルペンもこれまでは一、三塁側のファウルグラウンドにあったが、新球場ではベンチ裏に移設。ベンチ脇にスイング室も併設された。球場外周の一塁側の外壁には球団の歴史を記した「メモリアルウォール」を設置。旧球場の内野席の座席も置き、歴史を感じられるエリアとなっている。

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