引退の阪神・小宮山 変わらぬミット越しの矜持

[ 2019年12月19日 10:10 ]

2012年8月7日の巨人戦9回無死一塁、鈴木の二盗を阻止する阪神・小宮山(左)打者・高橋
Photo By スポニチ

 捕手として最高のプレーの記憶は今でも鮮明だ。12年8月7日の巨人戦(東京ドーム)。途中出場でマスクをかぶっていた阪神・小宮山は、無死一塁でスタートを切った鈴木尚の二盗を阻止した。

 「(バッテリーを組んだ)球児さん(藤川)に“鈴木さんを刺したの初めてや”と言われて凄くうれしかった」。球界屈指の足のスペシャリストに仕事をさせず奪ったアウトが、今でも忘れられない。ただ、笑顔で振り返られる時間は少ない。プロでの16年間は、顔をしかめる経験の方が圧倒的に多かった。

 「やっぱりあの試合がね…」。一番に浮かぶのは、ファンの間では“松山の悪夢”と呼ばれている一戦。12年7月3日の広島戦(松山)で1点リードの9回、空振り三振のボールを後逸し逆転を許した。レギュラーとしての地位を確立していない男にとって、糧にできるミスではなく「恐怖」として体に刻まれた。「その後、2軍の試合でど真ん中のボールも捕れなくなって…」。人知れず“残像”と戦った。当時マウンドにいた後輩の榎田(西武)と「いつか2人で1軍の舞台で払拭しよう」と誓い合ったものの、かなわなかった。

 「体は元気なのに野球ができない苦しさもあった」。12年の72試合出場がキャリア最多で近年は梅野ら若手捕手の台頭もあり2軍暮らしが続き、今オフに戦力外通告を受けた。

 「(松山の試合では)最後の一球まで気を抜かないことを教わった」。苦しんだ分、学んだことは多い。来季からはブルペン捕手となり、再びミットを構える。現在も毎日、若手が自主トレを行う鳴尾浜球場に姿がある。「ピッチャーが投げたい時に受けられるようにしたいからね。ストレスを感じさせたくない」。ユニホームを脱いでも女房役としての矜持(きょうじ)は消えない。(遠藤 礼)

続きを表示

この記事のフォト

2019年12月19日のニュース