内田雅也が行く 猛虎の地(8)「聖地」初試合での快投と元祖ウグイス嬢

[ 2019年12月8日 08:00 ]

終戦後、進駐軍に接収された神宮球場。「ステートサイドパーク」と書かれたスコアボード(明治神宮外苑提供)
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 【(8)明治神宮野球場】

 1926(大正15)年に開場した明治神宮野球場はアマチュア、特に学生野球の「聖地」とされてきた。戦前はプロ野球の使用など論外だった。商売人の職業野球に汚されるというわけだ。

 終戦後は連合国軍に接収された。GHQ本拠地として「ステートサイドパーク」と呼ばれた。45年11月23日、プロ野球復活を告げる東西対抗戦を神宮で開催できた。進駐軍と交渉を続けてきた鈴木惣太郎は日記に「いままでプロには絶対使わせないと言ってきた神宮球場が使える。こんな嬉(うれ)しいことはない」と記した=山室寛之『プロ野球復興史』(中公新書)=。

 その神宮でプロ野球が初めて公式戦を行ったのは1948(昭和23)年8月24日、阪神―南海11回戦だった。この記念すべき試合で阪神の梶岡忠義がノーヒットノーランを達成した。三輪八郎、呉昌征に次いで球団史上3人目、プロ野球20回目の快挙だった。

 2四球を与えただけで二塁を踏ませぬ快投だった。「最後の打者、朝井(後に松葉昇)に“凡打してくれ”と祈りながら投げたよ」と球団史『阪神タイガース 昭和のあゆみ』にある。

 ちなみにマスコミが初めて「ノーヒットノーラン」という言葉を使ったのが、この時だった。それまでは「無安打無得点試合」「無安打零封」などと表記していた。

 この試合は甲子園球場初の女性アナウンサー、堀内慧子が出張、場内放送を担当していた。同年12月1日発行の雑誌『ベースボールニュース』に「マイクを友としての日本野球」と手記がある。

 神宮の放送席にはNHKラジオで『実用英語会話』を担当するなど、戦後、英会話の指南役だった杉山ハリスもいた。杉山が英語、堀内が日本語で場内放送を務めたとある。恐らくスタンドでは進駐軍兵士ら多くのアメリカ人が観戦していたのだろう。堀内は杉山との対面を喜び<発音の事など伺ったが、日本流のアクセントでよいとのこと>と記している。

 プロ野球初の女性場内アナウンサーと言われるのは47年4月3日、後楽園球場で初放送した青木福子で、後に南海・笠原和夫と結婚している。

 堀内も同じく47年にデビューし、2年目だった。<甲子園球場の放送席は広くて明るくて気持ちが良い>。今と同様低い位置にあり<目の前を通る選手の足ばかり見ることになる。おかげで歩き方で誰だということが分かるようになった>と頼もしい。今に連なるウグイス嬢の元祖である。=敬称略=(編集委員)

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