31歳で引退ロッテ伊志嶺 これまでも、これからも、その手にストップウオッチを

[ 2019年12月6日 09:00 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(6)

11月に行われたスーパーマリンフェスタ2019で、引退あいさつを終えダイヤモンドを一周し本塁へヘッドスライディングする伊志嶺(撮影・会津 智海)
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 いつも手にはストップウオッチがあった。プロ野球の世界でおぼれかけ、生き残るためのもがきだった。ロッテ・伊志嶺はそれが、人生の転機になるとは予想もしなかった。

 「戦力外になったことより、その後のことが大きすぎた。びっくりして何をしゃべったかも覚えてません」

 10月3日にさいたま市内の球団施設で戦力外通告を受ける。1軍に呼ばれなかった9年目だ。予想はしていた。他球団での現役続行もぼんやり、考えた。だが、同時に1軍コーチの要請を受け、揺らいだ。数日間、周囲に相談した。チームの先輩は「後押しされたいんだろ?」と言ってくれた。はっとした。「コーチと迷う時点で選手には執着していない」。決断に時間はかからなかった。

 10年ドラフトでは外れ1位で2球団競合の末、ロッテ入り。同期の大卒野手ではソフトバンク2位・柳田、西武3位・秋山より、順位は上だった。1年目は32盗塁を記録し、順調な船出だったが、2年目以降は故障にも悩まされスタメンの機会は激減してしまう。

 代走が多くなった3年目。ベンチ内でストップウオッチを持つようになる。「走塁で生きていくためです。自分で情報を入手すると、いろいろなものが見えるようになりました」。直球と変化球での捕手の二塁送球タイムの違い、キャッチするコース別の時間も計測した。「捕球する体勢で送球が遅くなったりするので(捕手の構えた)コースを見て走ることができます」。膨大なデータが蓄積されて、武器になった。

 そこに目を付けた球団は「1軍走塁コーチ兼打撃コーチ補佐兼外野守備コーチ補佐」のポストを用意した。主な役割は走塁だ。引退後、控え選手に異例の1軍コーチの打診だった。重ねてきた努力を見ている人はいた。

 「ホームランをたくさん打って、勝つチームではない。つないだり、一つ先の塁を狙うことが、得点につながる」。31歳の若さで踏み出した新たな道は希望であふれている。(福浦 健太郎)

 ◆伊志嶺 翔大(いしみね・しょうた)1988年(昭63)5月12日生まれ、沖縄県宮古島市出身の31歳。沖縄尚学2年春にはセンバツ8強。東海大4年の世界大学選手権では主将として、銅メダルに貢献。10年ドラフト1位でロッテに入団した。通算成績は448試合、打率・242、6本塁打、59打点、59盗塁。1メートル79、79キロ。右投げ右打ち。

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