【内田雅也の追球】立冬に思う「春」――秋季キャンプを超えた先

[ 2019年11月9日 08:30 ]

色付いた木々がみられるキャンプ休日の安芸市営(撮影・坂田 高浩)
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 立冬だった。朝晩はずいぶんと冷え込むようになった。七十二候では「山茶始開」(つばきはじめてひらく)。このツバキは童謡『たきび』に出てくるサザンカのことだ。道端に赤く丸い花が見え始めるころである。

 暦の上では冬に入ったわけだが、現実には秋季キャンプの最中だ。阪神は8日、休日だったが、高知・安芸で選手たちが汗を流している。

 昔は秋にキャンプを張るチームはなかった。1979(昭和54)年、監督・長嶋茂雄時代の巨人が行った「地獄の伊東キャンプ」で若手育成の成果が見え、各チームに定着していった。

 このため、かつての若手選手にとって、チームから離れる11~12月の自主練習がその後の成長に大きくかかわっていた。

 たとえば、後に「世界の盗塁王」となる福本豊が阪急(現オリックス)に入団した1969(昭和44)年、<初めて体験する、いわゆるシーズンオフに、僕はとにかくバットを振りました>と著書『走らんかい!』(ベースボール・マガジン社新書)で打ち明けている。西宮の寮で<庭の植木を相手に、独りでひたすらバットを振った。ボールに見立てた葉っぱの先っぽへ、バットがピシッと当たるように>。

 明けてプロ2年目の春季キャンプ、打撃練習で足立光宏のカーブを高知市野球場の右翼席に放り込んだ。びっくりした監督・西本幸雄が「そのバッティング、誰に教えてもろたんや?」と聞いてきた。福本は答えた。「いえ、誰にも教えてもろとりません。ただ、監督の言う通りやっとるだけです」

 1年目は1軍出場わずか38試合の福本がレギュラーをつかんだのはオフの間の素振りだったわけだ。この時の驚きは西本から直接「冬の間にあれほど強いスイングができるようになるとは……」と聞いた。

 若手にとって秋季キャンプは、自己鍛錬と首脳陣へのアピールの場としてある。実際、それ以上に重要なのは、誰も見ていない、冬の練習ではないだろうか。

 知人のアマチュア野球指導者から、詩人・岩谷時子が書いた詩を教えてもらった。かつて雑誌『報知高校野球』(報知新聞社)に連載していた中の一編だ。

 <俺は冬が好きだ お前もか><やがてくる 栄光の春を掴(つか)むのは誰だ 俺たちだ>

 プロも「栄光の春」を思い、冬を過ごすのである。 =敬称略= (編集委員)

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