【内田雅也の追球】「超二流」が教える「慢」――阪神打撃コーチに就いた井上一樹の持ち味

[ 2019年10月22日 08:00 ]

会見で谷本球団本部長と握手する井上一樹新コーチ(右)(撮影・後藤 正志)
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 平成最初のドラフト会議を報じる1989年11月27日付のスポニチ本紙(大阪本社発行版)に、中日2位指名の井上一樹(鹿児島商)を「高校球界No.1左腕」と寸評を載せている。紙面は近鉄・野茂英雄(新日鉄堺)、西武・潮崎哲也(松下電器)、中日・与田剛(NTT東京)……らでにぎやかだった。

 だが、井上はプロ1年目、支配下選手から外れた「3軍」だった。育成選手制度(2005年導入)などなく、2軍戦にも出場できない。2年目に支配下登録されたが、ランニングとブルペンばかりの<地獄の日々>だった。

 今月7日に発行されたばかりの初の著書、『井上一樹自伝 嗚呼(ああ)、野球人生紙一重』(ぴあ)にあった。5年目に野手不足で打者転向となった当時、2軍戦に出られる喜びをつづっている。

 <まるで感覚が違います。「おれ、野球やって疲れてる!」と疲れが喜びとなり、「打てない! どうしたら良いんだろ?」と、野球のことで悩んでいることさえ、嬉(うれ)しかったのです>。

 いかに、どん底を味わったのか分かる描写である。後に1軍に定着し1999年優勝に貢献するなど、レギュラーとなった井上は、下積み生活や2軍選手の悲哀を知っていた。

 だからだろう。21日午後、甲子園の球団事務所であった阪神打撃コーチ就任会見で「一流でない選手の気持ちを理解できる」と語ったのだ。「一端(いっぱし)の者、スーパースターではなくて、1軍と2軍を行ったり来たりするエレベーター選手の心がどんなものか分かっています」

 これが、指導者としては強みとなるかもしれない。西鉄(現西武)黄金時代を築き、6年連続最下位の大洋(現DeNA)を日本一に導いた三原脩は名将と呼ばれる。ただし、現役選手としては実働3年、打率2割2分6厘、本塁打ゼロだ。

 三原の造語に「超二流」がある。「選手の光るものと光るものをつなぎ合わせればいい」。二流選手でも、どこか光るものがあると長所を見いだした。著書『風雲の軌跡』(ベースボール・マガジン社)には超二流選手には<うまく調子にのせる。ひっぱっていってやる。きっとそれにこたえる活躍をするだろう>とある。この言葉は後に広島監督となった三村敏之の信条ともなった。

 「名選手、名監督ならず」はコーチにも通用する。井上著書のオビにあった。<俺みたいな男の本、誰も読まんわ!! 天才打者でもない、スーパースターでもない彼は、いかにしてファンに愛される存在となったのか>

 座右の銘は井上造語の「我自傲慢」。我慢、自慢、傲慢(ごうまん)の3つの慢。超二流が肌で知る一流への道なのだろう。この熱く、泥臭い空気は今の阪神に必要である。=敬称略=(編集委員)

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