阪神メッセ、甲子園に別れ “戦友”鳥谷と抱擁「最高の瞬間だった」

[ 2019年9月30日 05:30 ]

セ・リーグ   阪神6―3中日 ( 2019年9月29日    甲子園 )

引退登板を終え、鳥谷からねぎらいの花束を受け取るメッセンジャー (撮影・成瀬 徹)
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 阪神のランディ・メッセンジャー投手(38)が先発として引退登板し、大島から空振り三振を奪って現役生活に幕を下ろした。最後はオール直球勝負で「豪腕」としての矜持(きょうじ)を見せ、愛した甲子園球場のマウンドに別れを告げた。

 力強い“ラストダンス”だった。こだわり続けた真っさらなマウンドで投じたのは追求してきた直球。メッセンジャーが最後の先発で力を出し切った。

 「直球6球で満足している。日本に来てブルペンでスタートして先発で終わるのはクレイジー。この瞬間を忘れることはないよ」

 大島への初球に最速の147キロをマークするなど全盛期を思わせる球威で力勝負を挑んだ。フルカウントから最後は146キロで空振り三振。試合前には10年間で一度もなかった外野でのキャッチボールで準備してブルペンへ。「声援を聞いて気持ちは高ぶった。ファンのために力強く腕を振った」。最後の1アウトはスタンドにささげた。ベンチ前では花束を手にした同い年の鳥谷と抱擁。「10年間、苦楽をともにしてきたから。最高の瞬間だった」と胸を震わせ降板した。

 “モーテルの少年”がたどってきた道は聖地につながっていた。幼少期、貧しい家庭で育ち、自宅も転々とした。両親が不在の時間も多く、簡易ホテルに1人ぼっちで生活することも珍しくなかった。「小さい時は本当に苦労したから」。ガソリンスタンドで食事を済ませ、衣服も満足にそろえられない。長い期間着用できるように、その時は身体に合わなくても、ぶかぶかのズボンを履いて我慢。日本で成功した今も、ヒップホップ系のファッションを意識して大きめのズボンを履いているのは、昔の名残だ。

 悪夢のような日々でも恥じたことは一度もない。結婚前、ベネッサ夫人との初デートで「これが俺の家だったんだ」とモーテルを指さして笑った。「自分たちの子供には欲しいものを買ってあげたいし、好きなことをして欲しいと思う」と幼き頃の記憶を、働く男としてのモチベーションにも替えてきた。

 引退セレモニーでは「どの試合よりも緊張した」という長文のスピーチを読み上げ、夫人と4人の子供に感謝の思いを述べた。捕手3人から花束を送られ、人生初の胴上げも経験。「エース」は信頼し、されてきた仲間の手で送り出された。

 「(プロでの)21年間はあっという間だった。世界最高のファン、チームメートに支えられて、充実した中身の濃い10年間だったよ」

 戦い抜いた表情に悔いは一切、見当たらない。多くの「レガシー」を残し、メッセンジャーがエースの役目を終えた。(遠藤 礼

▼中日大島(クラブハウスに花束を贈ったメッセンジャーと初回先頭で対戦して空振り三振。引退登板での打席はヤクルト・館山、広島・永川に続いて今季3度目)同期だし、すごい投手の最後の登板に立ち会えて良かったです。僕で良いのかな…と。スライダーもキレるし、フォークも真っすぐの軌道から落としてくる。引退する選手のボールには思えなかったです。 

◆ランディ・メッセンジャー 1981年8月13日生まれ、米ネバダ州出身の38歳。99年にスパークス高からマーリンズに入団。ジャイアンツ、マリナーズでもプレーしメジャー通算4勝12敗2セーブ、防御率4・87。10年に阪神入りし13、14年に最多奪三振、14年に最多勝。NPB通算263試合、98勝84敗、防御率3・13。1メートル98、109キロ。右投げ右打ち。

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