賢介 涙のフェン直タイムリー締め「幸せな野球人生でした」

[ 2019年9月28日 05:30 ]

パ・リーグ   日本ハム1―5オリックス ( 2019年9月27日    札幌D )

引退セレモニー、スタンドのファンに挨拶する田中賢(撮影・高橋茂夫)
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 泣きながら打った。日本ハム・田中賢介内野手(38)が27日、引退試合となったチーム今季最終戦のオリックス戦に2番でフル出場して2安打。8回、現役最終打席で日本通算1499安打目の適時打を放った。満員となった札幌ドームで何度も響き渡った「ケンスケー~!!」のコール。愛された背番号3が感動を残し、ユニホームを脱いだ。

涙でぼやける視界。ファンのコールはハッキリと聞こえた。8回2死一、二塁の現役最終打席。緻密な理論でフォームをつくり上げてきた田中賢が「どう打ったのか覚えてない」という号泣のフルスイングで右翼フェンス直撃適時打を放った。

 「(最後の打席は)思い出がよみがえって我慢していたけど限界だった。満員のファンの前でやめられた。幸せな野球人生でした」

 現役最後の試合に「2番・DH」で先発出場。6、8回の安打で日本通算1499安打で現役を終えた。「いつもちょっと足りない野球人生なので」と苦笑したが、日米通算では1507安打を記録。9回はDHを解除して二塁の守備に就き「景色が良かった。ここが自分の場所だと改めて思った」と笑った。

 東福岡から99年ドラフト2位で入団。当初は年齢が近かった1学年上の森本稀哲氏(現野球評論家)、実松と2軍首脳陣に「3バカ」と称された。「コーチに反発していた。今では考えられないですね」というほどのやんちゃな少年にプロの自覚が芽生えたのは3年目の02年。大阪遠征で3人で門限を破り、宿舎で待ち構えていたコーチに殴られ、愛情を感じた。「“大阪事件”がなかったら今の僕はない」と感謝する。

 チームが本拠地を東京から北海道に移転した04年から出場機会が増え、二塁に定着した06年に「札幌ドームで一番の思い出」という移転後初のリーグ優勝と日本一を達成。13、14年のメジャー挑戦を経て15年に古巣に復帰すると翌16年に再び日本一に輝き「出戻りさせてくれた球団に恩を返せた」と振り返る。

 17年以降は出場機会が減り、出場67試合だった昨季終盤に親しい関係者に「今年で引退する」と報告した。その後に球団やチームメートの説得も受けいったんは白紙に。2カ月以上も熟考を重ね「このままセレモニーもなく引退するのは世話になった方々に失礼」と決断した。年末に現役続行と19年限りでの引退を表明。集大成のシーズンを駆け抜けた。

 福岡で育った野球小僧が、北の大地でプロ野球選手として花を咲かせ、家庭も築いた。将来的には指導者として期待される38歳は試合後のセレモニーで「ファイターズの力になれるよう、これからも北海道でみんなと一緒に生きていきます」と宣言し、ナインの手で宙も舞った。野球人生の第二章も、北海道のファンに身をささげる。(山田 忠範)

 ○…試合のイニング間には田中賢と関係の深い指導者、選手からビデオメッセージが贈られた。小笠原道大現中日2軍監督、白井一幸氏、田中幸雄氏、梨田昌孝氏、トレイ・ヒルマン現マーリンズコーチ、大島康徳氏に続き、エンゼルス・大谷、カブス・ダルビッシュが登場。大谷は「賢介さんから教わったことをこれからの野球人生に生かしていきたい」、ダルビッシュは「レンジャーズでも少し一緒にプレーできて本当に思い出になりました」と感謝した。

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