花咲徳栄・韮沢 つらかったのは「米」だった

[ 2019年8月31日 09:00 ]

<明石商・花咲徳栄>花咲徳栄・韮沢(撮影・大森 寛明)
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 当コラムでは令和元年最初の甲子園で、スポニチ高校野球取材班が印象に残った選手などを、リレー形式で紹介します。第8回は、U18ワールドカップに出場中の高校日本代表でもある花咲徳栄・韮沢雄也内野手(3年)です。

 薄緑が鮮やかだった稲穂に、黄色みがかかり始めた。こうべを垂れつつある穂先を秋風が揺らし、その上を無数のアキアカネが飛び交う。花咲徳栄・韮沢の実家は新潟・魚沼市。日本有数の米どころは間もなく、稲刈りの時期を迎える。

 高校日本代表としてU18W杯に出場中の今秋のドラフト候補。夏の甲子園では、大会6日目だった8月11日の第4試合で4強入りした明石商と対戦。2度追いつきながらも3―4で敗れた。韮沢は3番・遊撃で出場。4回1死一塁からの2打席目で、好投手・中森から左前打して好機を広げ、先制点につなげた。3打数1安打1死球。「いいピッチャーでした。1年生からベンチに入れてもらって感謝しています。3回、甲子園にこられてよかった」。そう言って1年夏から3度出場した甲子園を去った。

 甲子園取材で我々記者は、事前に実施されたアンケートをチェックし取材の目星をつける。もちろん韮沢はドラフト候補でもあるが、それ以上に興味を強くしたのは記者と同じ新潟出身だったこと。それも記者の実家の隣町。車で約30分の「お隣さん」だった。近年、レベルが上がってきたとはいえ都道府県別で新潟は春夏通算31勝で、山形の35勝を追う全国最下位。しかも、日本有数の豪雪地帯でもある魚沼を離れ、埼玉の強豪校でプレーする18歳に、話しを聞かない訳にはいかなくなった。

 8月11日の試合前取材。同郷であることを明かし韮沢と言葉を交わした。小1から新潟南リトルで野球を始めた。魚沼市から新潟市までは約100キロ、車で約1時間20分。父・浩文さん(46)が運転し毎週末、通ったという。「最初は車酔いがひどくて、いつもグラウンドに到着すると吐いていました」。苦笑いしつつ、それでも「やめようとは思わなかった」と振り返った。全国大会にも出場した新潟シニアまで9年間、その生活を続けた。「プロ野球選手が目標だったので、県外でやりたかった」と今度は埼玉行きを決意。関西圏からのチームメートも多く「最初は戸惑った」と振り返ったが一番、つらかったのは「米」だった。

 「ちょっとお米は合わなかったですね…」。帰省は年に1度、正月の約1週間。その期間しか味わえなくなった、祖父母がつくる魚沼産コシヒカリの味が染みた。それでも「学校でもおにぎり食べたり、頑張って食べました」と体重は入学時の67キロから80キロまで増加。将来を嘱望される選手に育った。

 アルプスには父・浩文さんと母・智子さん(45)の姿があった。試合前夜に車で魚沼市を出発し、花咲徳栄応援団に合流したという。小、中学時代に仕事の合間を縫って欠かさなかった練習への送迎。その5倍以上となる片道約7時間。「親なら全然、苦にならないよ。逆に3回も連れてきてもらって本当に、ありがたかった」。親元を離れた息子への寂しさも、報われる瞬間だった。ちなみにご両親、記者と同じ都内のマンションに住む魚沼市出身の知人と顔見知り。「世の中、狭いですね」と笑い合った。

 8月25日。都内ホテルで行われたU18日本代表の結団式で、韮沢と再会した。「ここのご飯、メッチャうまいです」。日の丸を背負った30日のスペイン戦では、3番で適時打含む2安打を放った。悲願の金メダルを手にすれば、帰国は9月9日。故郷も一面の黄金色に染まる頃だ。(春川 英樹)

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