ソフトB摂津引退 日本唯一の“最優秀中継ぎ&沢村賞”男

[ 2018年12月30日 03:00 ]

ソフトバンクの摂津
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 ソフトバンクから自由契約となった摂津正投手(36)が今季限りで引退することが29日、分かった。年明けには引退会見を開く予定だ。1年目の09年に最優秀中継ぎ投手、先発転向後の12年には沢村賞を獲得。この2つの賞を手にしたのは日本球界唯一でホークスで一時代を築いた。侍ジャパンで13年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)にも出場した右腕が、10年間の現役生活に別れを告げる。

 また一人、球史に名を残した男が現役生活にピリオドを打つ。今季限りでの引退を決めた摂津は「ここまで野球を続けることができたのは、僕を使ってくれた首脳陣の方や、チームメートや裏方さんたちの支えがあったからです。いつも応援してくれたファンの方々の存在も心強かった。本当に感謝しています」と口にした。

 1年目の09年、開幕から勝利の方程式に入った。抑えの馬原へのつなぎ役で球団記録(当時)の70試合に登板。5勝34ホールドで新人王と最優秀中継ぎ投手に輝いた。摂津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原の救援陣は頭文字をつなげ「SBM」と称された。

 テークバックが小さく、低めへの制球と宝刀シンカーが武器。05年の沢村賞投手・杉内(現巨人ファーム投手コーチ)をして「ただ低めに投げるだけじゃなく、コースにピタリと投げられる」と言わしめる技術があった。翌年も最多記録更新の71試合登板。オフの契約更改では球団から年俸1億円の大台を示唆されながら「3年やって一人前。まだ早いと思った」と、9500万円でサインするエピソードを残した。

 11年にチーム事情などから先発に転向すると、ここでも存在感を示した。いきなり14勝をマーク。中日との日本シリーズでは第3戦に先発して勝ち投手となり、その後は救援で2試合に登板する離れ業で日本一に貢献した。5年連続2桁勝利を成し遂げ、中でも12年には17勝を挙げて沢村賞、最多勝。翌13年WBCでは中継ぎで3試合に投げた。

 蓄積疲労がたたり、ここ数年は全盛期の投球ではなかった。今季も7試合登板で2勝4敗、防御率5・16で、球団から来季構想外と伝えられた。10年間で5度のリーグ優勝、5度の日本一に貢献。今後は未定だが「お世話になったホークスで野球の仕事に就いて、球団に、野球に恩返しをできればうれしいです」と次の夢を抱く。第二の人生に向け、まずは充電期間に入る。

 《日本唯一の「最優秀中継ぎ&沢村賞」》摂津(ソ)は入団1、2年目の09、10年に2年連続最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。3年目の11年に先発に転向し、15年まで5年連続2桁勝利。12年には17勝を挙げ最多勝。1人で最優秀中継ぎ投手と最多勝を手にしたのは摂津だけ。また、先発2桁勝利を記録した後に最優秀中継ぎ投手は福原(神)、近藤(オ、ヤ)といるが、最優秀中継ぎ投手から先発2桁勝利は摂津しかいない。

 ◆摂津 正(せっつ・ただし)82年(昭57)6月1日生まれ、秋田県出身の36歳。秋田経法大付―JR東日本東北を経て08年ドラフト5位でソフトバンク入り。入団1年目の09年に救援投手として70試合に登板。5勝2敗34ホールド、防御率1・47を記録し新人王と最優秀中継ぎ投手賞に輝く。11年からは先発に転向。12年には17勝5敗、防御率1・91の成績で沢村賞、最多勝。1メートル81、93キロ。右投げ右打ち。

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