浮かび上がった借金153個の深い溝 平成データ集計のカレンダー 「数える」というすごみ

[ 2018年12月24日 15:00 ]

平成時代の阪神貯金グラフを立体的に表現すると、深い借金の溝が浮き上がった(部分)
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 【内田雅也の広角追球】もちろん記録やデータとはそういうものだが、「数える」というすごみをあらためて思い知る。

 昨年も当欄で紹介したが、阪神ファンで、2005年から毎年ユニークな手製カレンダー(非売品)を作成する兵庫県芦屋市の会社員、大森正樹さん(51)の2019年度版を見て感じたことだ。

 新作のテーマは「平成タイガース」。来春で終わりを告げる平成時代の阪神成績を集計して、まとめている。

 平成元年の1989年から今年まで30年間のチーム勝敗は通算4160試合、1965勝2118敗77分で勝率・481。負け越し153と大きな借金が残った。

 貯金グラフを立体的に作ってみると、深く暗く、くぼんだ溝が浮き彫りとなった。

 大森さんは「一気に借金を増やし、あらためて平成の阪神は暗黒時代から始まったことが分かります。2003、05年の優勝などで盛り返しましたが、今は停滞しています」と平成時代を振り返る。

 平成時代の個人記録を通算した表を付けた。鳥谷が試合(2095)、安打(2066)、打点(818)、得点(983)、四球(1034)……など、多くの部門でトップに立っている。

 「鳥谷は平成だけでなく、昭和、平成を通じても部門トップが多く、コンスタントな活躍と積み重ねが光ります」。鳥谷は今年、藤田平を抜いて通算安打数で阪神歴代最多となるなど、各部門で長い阪神の歴史上、トップクラスの成績である。

 さらに集計してみると「意外な選手が上位に顔を出しているのが分かります」と、新たな発見もあった。平成の打率(700打数以上)の10傑を並べてみる。

(1)オマリー  ・318

(2)マートン  ・310

(3)糸 井   ・299

(4)赤 星   ・295

(5)和 田   ・293

(6)坪 井   ・291

(7)関 川   ・289

(8)パチョレック・288

(9)平 野   ・287

(10)金 本   ・283

 安打量産型だった外国人オマリー、マートンが3割をマーク。関川、平野が顔を出している。鳥谷は・281で13位だった。

 投手に目を向ける。勝利数5傑は以下の通り。

(1)能 見    102

(2)メッセンジャー 95

(3)井 川     86

(4) 藪      84

(5)福 原     83

 次いで防御率5傑(200投球回以上)。

(1)藤 川   2・04

(2)ウィリアムス2・20

(3)渡 辺   2・64

(4)伊藤敦   2・70

(5)田 村   2・72

 救援陣が並び、JFKのすごさが伝わり、そのセットアッパー、クローザーの前を務めた渡辺の奮闘が光る。さらに暗黒時代のブルペンを支えた伊藤敦、田村のランク入りが愛(いと)おしい。

 会社員の大森さんは勤務の関係で夜明け前に自宅を出て夜帰宅する日々だという。阪神戦があった夜は毎晩、パソコンにデータを入力しているそうだ。結構、大変な作業である。

 「いやあ、そうでもないですよ」と本人は照れるが、その「数える」ことの継続からうれしい発見や、愛おしい感情が生まれてくるのだろう。

 作家・重松清が『スポーツを「読む」』(集英社新書)のなかで、豊福きこうのデビュー作『水原勇気1勝3敗12S』を取り上げている。マンガの主人公(女性のプロ野球投手)の記録を数え上げた豊福について<真のすごみは、データを揃(そろ)えたあとにわかる>と書く。<テキストに対する記憶がある。ハートがある。強烈な思い入れがある。それを――ぼくなら、「愛」と呼ぶ>。

 大森さんのパソコンには球団創設以来のタイガースのデータが大量に保管されている。カレンダーそのものには日々、月の形をあしらってあり、その日の阪神通算勝率が書き込まれている。

 裏面は付録として、球団初年度1936(昭和11)年からの開幕スタメン選手を順に並べ、一筆書きで虎マークを描いた。虎マークは球団創設時、阪神電鉄本社の事業課デザイン室にいたデザイナー、早川源一氏がつくり、現在に至っている。大森さんは千葉大工業意匠科でコミュニケーションデザインを専攻しており、阪神を好きになったのも、元は早川氏が描いたマークや球団旗、ポスターなどデザインが気に入ったからだった。

 平成は来年4月30日で終わる。大森さんは「まだ平成の試合は少し残っていますが、カレンダー作りを機に、平成の阪神を振り返ってみたかった。新元号を矢野新監督で迎える来季に期待したい」と、愛情を持って見守っている。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 大森正樹さんと出会ったのは2008年11月の阪神ファン感謝デー。甲子園球場長(現阪神球団社長)の揚塩健治さんが引き合わせてくれた。野球の歴史に思い入れのある者同士で意気投合する様子に、隣にいた奥様が「話が合う人がいたね」とほほえんでいた。1963年2月、和歌山市生まれ。大阪紙面でのコラム『内田雅也の追球』は来年も継続し、13年目を迎える。

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