内田雅也が行く 猛虎の地<11>新大阪駅プラットホーム

[ 2018年12月14日 08:30 ]

田淵の目に映った「玄関口」の変化

現在の新大阪駅新幹線プラットホーム
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 国鉄(現JR)の新大阪駅は、東京五輪開幕に合わせて開通した東海道新幹線の終点として1964(昭和39)年10月1日に開業した。大阪駅から北へ3・8キロ。文字通り新しい大阪駅の玄関口だった。周辺は住宅も少なく高層ビルなどない。のどかな雰囲気だった。

 田淵幸一(72=スポニチ本紙評論家)が阪神時代の思い出として残るのは、この新大阪駅の新幹線プラットホームから見えた風景だという。

 「新人で入団した時は、新幹線を降りると大勢の報道陣に囲まれた。ところが西武へのトレードで東京に向かう時は誰もいない。独りぼっちだった。ホームから見える風景も、入団時は何にもなかったけど、所々にビルが建っていてね。変わったんだなあ……と時の移り変わりを感じたよ」

 東京六大学リーグ新記録の通算22本塁打を放った法大の主砲だった。ドラフト1位での阪神入りは相当な脚光を浴びた。

 1969(昭和44)年1月12日午後1時10分、新大阪駅3番線に着いたひかり号から降りた時の心境がスポニチ本紙『田淵日記』にある。<新大阪駅に着いてびっくりした。正直言ってこれほどの報道陣の出迎えを受けるとは思わなかった>。

 母・花江も同行していた。出迎えた総務課長・奥井成一とタクシーに乗り、阪神電鉄本社にあいさつ。阪神百貨店で家具を注文し、甲子園球場を見学している。その夜は甲子園の旅館「夕立荘」に泊まった。13日は球団事務所と独身寮「虎風荘」にあいさつを終え、家具が届いた14日、309号室に入寮している。

 阪神時代は新人王となり、本塁打王も獲って4番打者として過ごした「青春の日々だった」。

 だが愛するタテジマとの別れは突然訪れた。プロ10年目のシーズンを終えた78年11月14日、いや正確には日付が代わった15日午前1時、ホテル阪神に呼ばれ、球団社長・小津正次郎から西武へのトレード通告を受けた。

 非常識で冷たい、と態度を硬化させた田淵も、23日に西宮・甲陽園の料亭「はり半」で西武監督・根本陸夫と会談し、移籍を受けいれた。

 12月2日、大阪・枚方市のイズミヤで開いたサイン会で「西武・田淵」と色紙に書いたのが大阪での最後の仕事。5日に東京・原宿の国土計画(現コクド)本社でオーナー・堤義明と面会し6日に入団発表に臨んでいる。この間の3日か4日、西宮市のマンションを引き払い、田淵は独り寂しく新大阪から新幹線で上京したわけである。

 「車中で“今に見ていろ。見返してやる”と誓った」と愛憎が深まった。82、83年には阪神で味わえなかった優勝、日本一となった。オールスターで会った小津に「ありがとうございました」と皮肉を言ったそうだ。

 別れから23年後、監督・星野仙一に「シマに行くぞ。タテジマや」と招かれ、打撃コーチとして阪神復帰、2003年、優勝に導いた。恩讐(おんしゅう)はかなたに消えていた。=敬称略=(編集委員)

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