「左のおかわり君」西武・坂田 江藤智氏のような“温かさ”で若手のサポート役に

[ 2018年12月13日 09:30 ]

10年7月のオリックス戦で、プロ初本塁打となる1号先制3ランを放つ
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 【決断 ユニホームを脱いだ男たち(12)西武・坂田遼外野手】心待ちにしている。同期生が声をかけてくれた食事会だ。「“今度、ご飯行こう。引退したから”と声をかけてくれました。アサ(浅村)と野上(現巨人)が」。08年ドラフトで西武に入団し、今季までプレーしていたのは坂田を含めて3人だった。

 「これでライオンズから同期が全員、いなくなっちゃったので、さみしいです。他球団でも頑張ってほしいですけどね」

 08年10月30日のドラフト会議。2位の野上、3位の浅村に続き4位で指名を受けた。1年目の09年にプロ初安打をマークし、2年目は初本塁打から2戦連発など8本塁打。「左のおかわり君」の愛称もつき、注目度も上がった。「全然、気にしたことはなかった。でも、そういう愛称をもらったのはうれしいこと。覚えてもらったりしたので」。大ブレークのチャンスは5年目の13年だった。

 「自分でも分からないくらい打っていた」。開幕直後に1軍に呼ばれると好調をキープ。だが、不運が襲った。チームトップタイの5本塁打、打率・386だった5月19日。本拠地での阪神戦で二盗の際に左肩を脱臼した。復帰は8月。この年は結局、53試合の出場で打率・289、6本塁打に終わり、翌14年も左肩を脱臼し、4月に手術を受けた。以降はレギュラーをつかむことはできなかった。

 「シーズン終盤から今年で最後だろうなという気持ちでやっていた。ここで野球は一区切りだなと」。戦力外通告を受けた10月4日の前夜。球団から呼び出しの電話が鳴った時に心は決まっていた。5日に引退を表明した。

 強く印象に残っているひと言がある。プロ1年目。09年5月6日、当時の西武ドームでの楽天戦。9回に代打でプロ初出場した。空振り三振に倒れベンチに戻るとその年で現役引退する江藤智氏から「おめでとう。これでやっとプロの舞台に立てたな。これからプロ野球人生の始まりだな」と言われた。

 「あっという間でした。10年、早いなって。江藤さんの言葉が、ついこの間のように感じる。充実していたからじゃないですか」

 引退と同時に2軍スコアラーに就任した。あのときの江藤氏のような温かさで、1軍を目指す若手をサポートする。(春川 英樹)=終わり=

 ◆坂田 遼(さかた・りょう)1986年(昭61)10月2日生まれ、神奈川県出身の32歳。横浜創学館から函館大に進み、北海道学生リーグで首位打者を2度獲得。08年ドラフト4位で西武入り。通算255試合に出場し、打率.244、99打点、21本塁打。1メートル78、90キロ。右投げ左打ち。

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