野球殿堂に入るべきプレーヤーがいる

[ 2018年12月12日 09:00 ]

今年2月、OB戦でソフトバンク・工藤監督(左)とバッテリーを組んだ城島氏
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 【君島圭介のスポーツと人間】2000年の日本シリーズはON決戦となった。当時、私はセ・リーグを制した長嶋巨人に「王貞治」がいて、パ・リーグを連覇した王ダイエーには「長嶋茂雄」がいる、と書いた。

 長嶋茂雄が育てた主砲は、王貞治のごとき求道者である松井秀喜だった。そして王の下で長嶋のように野性味溢れるプレーでファンを魅了していたのが城島健司だ。

 来年の野球殿堂プレーヤー表彰の候補者に城島の名前がある。個人的には殿堂に入るのは「歴代1位」の記録保持者であるべきと思うが、記録より記憶に残る卓越した選手がいる。長嶋がそうであり、城島も同じだ。

 00年の日本シリーズで城島はシリーズタイの4本塁打を放った。とくに第1戦で師匠・工藤公康の外角ボール球を右腕だけでスタンドまで運んだ「悪球打ち」は圧巻だった。03年の阪神との日本シリーズでも4本塁打を放っており、大舞台での強さも印象深い。

 わんぱくだった健司少年は、中学入学を機に父親から「お前よりケンカが強いヤツはおらんが、野球が上手いヤツは日本中にいっぱいおろうが」と諭された。この言葉が溢れる闘争心を「じゃあ、野球で日本一になってやる」と、歩むべき方向へと向かわせた。

 プレーを批判されると、その評論家の現役時代の成績を部屋の壁に貼り、追い抜くたびに破り捨てた。モットーは「上に厳しく下に優しく」だ。工藤ら大投手と衝突しながらも勤勉に学び、後輩の和田毅、杉内俊哉らをときには長崎・佐世保の自宅にまで招いて名投手に育て上げた。

 1試合6安打、1イニング2本塁打はパ・リーグ記録になっている。だが、城島の真骨頂は捕手としての規格外のプレーだろう。座ったままの送球で盗塁を刺す。投手に返球する体勢から一塁走者をノールックのけん制で刺す。03年にはシーズン全試合フルイニング出場と現代野球の捕手としてはとてつもない偉業も成し遂げた。しかもコリジョン・ルールのない、体当たりの本塁突入が許容されていた時期で、だ。

 06年には日本人捕手で初めてメジャーの舞台でマスクをかぶった。野茂英雄の後に続いた投手やイチローに続いた野手は多いが、城島に続いた日本人捕手はまだいない。まさに「あんな選手は後にも先にもいない」といったところだ。どうだろう、野球殿堂に入るべき不世出の存在ではないだろうか。

 「捕手のまま引退したい」と、12年シーズンを最後に阪神でユニホームを脱いだ。それ以降、野球の仕事をしないのは、批評されることを嫌ってきた性格からだろう。いかにも城島らしい。本音をいえば野球殿堂はどうでもいい。願わくば、もう一度、グラウンドでそのユニホーム姿を見せて欲しい。(専門委員)

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2018年12月12日のニュース