阪神ドラ5川原(上)屈辱の敗戦背負い強くなった高校時代

[ 2018年11月29日 11:00 ]

ドラ5川原陸投手(17=創成館)(上)

17年11月の明治神宮大会・大阪桐蔭戦で川原は無失点で勝ち投手に
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】涙が止まらないほどの屈辱が、阪神からドラフト5位指名された川原陸投手(17=創成館)の原動力だ。17年夏の長崎大会準々決勝・波佐見戦。0―3の5回から2番手として登板したが、地に足が付かない。先頭に四球を許すと次打者にセーフティーバントを決められた。次打者にも四球を与え無死満塁。動揺する姿を見かねた創成館・稙田龍生監督はすぐさま交代を決断。後を受けた3年生が2点を失い、4―5で敗れたのだった。

 「1点も許されない場面だったのに…。先輩や、先輩の保護者の方々の3年間を僕が無駄にしてしまった」

 自らを責める陸に、稙田監督はあえて厳しい言葉をかけた。「泣いてる暇はない。お前のせいで負けたんだ」。この日を機に、強くなっていった。

 振り返れば、入学当初は投手を避けていた。長崎北シニア時代に日本代表に選出されたほど打者としての能力もピカイチ。打撃力を買われ、1年時は外野手として起用されていた。当時の様子を、稙田監督はこう話す。

 「なぜかピッチャーをやりたがらなかったんです(笑)。私としては体を強く、大きくして、いずれはピッチャーで!と考えていましたけど、当時は嫌がっていましたね」

 その理由を陸は、正直に打ち明ける。「走るのが苦手で……。ピッチャーの練習メニューを見るだけで嫌だったんです……」。監督の期待とは裏腹に、どこか“逃げ腰”だった。投手で起用されはじめた2年春以降も、真の自覚を持つまでには至らなかった。

 2年夏の敗戦は、甘さを見つめ直すにはこれ以上ない経験となった。新チームからは投手リーダーに任命された。陸は「何もしていませんよ…」と照れたが、稙田監督の評価は違った。「自覚が芽生え、自分で考えて取り組むようになりました」と明らかな変化を感じ取っていた。

 成果はすぐに現れた。2年秋の長崎大会を制すると、九州大会も優勝。明治神宮大会の準決勝では、後に甲子園春夏連覇する大阪桐蔭を下した。2番手として4回2/3無失点で、勝利投手にもなった。

 「勝てば優勝、勝てば甲子園、という試合では必ず良いピッチングをしてくれました」

 指揮官もうなるほどに頼もしくなり、選抜に続き夏の甲子園にも出場。名をはせ、プロへの道を切り拓いた。「あの試合がなかったら、今の自分はないと思います」――。あの時一緒に涙を流してくれた人達を、今度は笑顔にしてみせる。(巻木 周平)

 ◆川原 陸(かわはら・りく)2000年(平12)12月12日生まれ、長崎県長崎市出身の17歳。三原小時代にソフトボールを始め、三川中では長崎北シニアに所属。創成館では2年秋からエースで明治神宮大会準優勝。甲子園には3年時に春夏連続で出場し春は8強。1メートル84、80キロ。左投げ左打ち。

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