阪神ドラ3木浪(上) 日課の“壁ドン”で築き上げた下地

[ 2018年11月23日 11:00 ]

ドラ3木浪聖也内野手(24=Honda)(上)

小学5年時の木浪。野球以外の才能も豊かなスポーツ少年だった
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】阪神ドラフト3位の木浪聖也内野手(24=Honda)が野球を始める原点となったのは父・弘二さんとのキャッチボールだった。小学4年の頃には部活動で陸上部に所属して青森市2位。野球以外の才能も豊かだったスポーツ万能少年の当時を追った。

 聖也が野球と出会ったのは3歳の頃。草野球をしていた父・弘二さんとのキャッチボールがきっかけだった。父が仕事で野球ができない時は、自宅近くにあるブロック塀に向かっての壁当てが日課。グラブを前に出して捕球する基本を自然と身につけた。

 「ずっと壁当てをしていた記憶があります。僕の練習相手は壁でした(笑い)」

 壁当ての効果を実感したのは、父の草野球チームで守備練習をしていたときだった。誰も教えていないはずの難しいショートバウンドを難なく捕球。小学1年生とは思えない器用なところを見せつけ、周りの大人達を驚かせた。

 本格的な野球との出会いも、この頃だった。地元の「安田ヤンヤン少年野球チーム」に入団。3年までは二塁を守り、4年から6年までは投手を務めた。最高成績は青森市で優勝するなど、投手としての素質も十分。それでも内心は「内野がやりたい」という部分が勝り、6年の終わり頃からは遊撃をやり始めた。「守備が好きで内野にいきました」。幼い頃から壁当てで腕を磨いていたきた影響からか、打撃よりも守備に惹かれていた。

 「何をやらせても器用だった」

 父・弘二さんが当時を振り返ったように、打者の背中側から球を投げてのティー打撃や時々ワンバウンドさせてのティー打撃など、イレギュラーなメニューにも難なく対応した。ただ、打撃に関しては聖也が「自宅前の鏡のような全身が写るところで打撃の形を見ていたぐらい」と話したように、当時は熱心でなかった。そのため、人並みの打撃力だったが、下地はしっかりと築き上げた。

 才能は野球以外のスポーツでも発揮された。当時から足が速く、小学4年から部活動で陸上部に入部。100メートル走では4年生にして14秒台を計測するなど、青森市で2位になるほどの俊足の持ち主だった。もちろん運動会のリレーでも6年間、常にトップ。中学になると「成長期で足は遅くなった」と快速ぶりは影をひそめたが、随所に非凡なものを見せつけた。(長谷川 凡記)

 ◆木浪 聖也(きなみ・せいや)1994年(平6)6月15日生まれ、青森県出身の24歳。小1で野球を始める。青森山田では1年時からベンチ入りも甲子園出場なし。亜大では1年春からリーグ戦出場。Hondaでは1年目から三塁手兼二塁手のレギュラーで2年目から本職の遊撃手。1メートル78、80キロ。右投げ左打ち。

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