中畑清氏 忘れられない縁…78年の日米野球がプロ生活の転機に

[ 2018年11月13日 10:30 ]

10日に行われた日米野球第2戦の3回1死二塁、左中間席へ2ランを放ち打球を見守る柳田 (撮影・白鳥 佳樹)
Photo By スポニチ

 【キヨシ スタイル!】凄いな、ギータ。大リーガー相手にガンガン打ってさ。一躍全米から注目される選手になってるんだってね。かく言う私も、日米野球なくして中畑清のプロ野球人生は「なかったキヨシ」と言えるくらいの縁がある。

 プロ入り3年目の1978年。それまで1軍戦出場が12試合しかなく、女房に「そろそろ福島に帰って牛の乳搾りでもしようか」と話していた矢先、シンシナティ・レッズがやってきた。当時は単独チームが来日。全日本との試合もあったけど、巨人単独チームや巨人とどこかの連合軍でやる試合が多かった。

 後楽園で行われた第1戦は巨人単独。私は高田繁さんに代わって7回から三塁守備に就いた。4―6で迎えた8回。1点を返し、なお1死二塁で打順が回ってきた。てっきり代打を出されると思ってもじもじしていたら長嶋監督に呼ばれた。

 「おまえがいくんだ。高めを狙ってホームラン打ってこい」

 若き速球派右腕のマリオ・ソトの初球、ストレートを思い切り叩くと、打球は左翼席に飛び込んだ。逆転2ランだ。17試合戦って14勝1敗2分けと圧倒的な強さを見せつけたレッズに唯一の黒星をつけたのだ。

 名将スパーキー・アンダーソン監督が「あんないい選手が控えなのか」と言ってくれてさ。巨人単独の試合はほとんど出て26打数7安打、打率・269。翌79年は開幕から1軍に定着し、6月に三塁のレギュラーを奪った。日米野球が1軍、レギュラーへの道を開いてくれたのだ。

 今やMLBへのアピールの場となっている日米野球。今回は20年東京五輪に向けての試金石という意味合いもある。

 今回来日している投手陣は決して一流とは言えないけど、みんなボールを動かしている。150キロ超で動くボールにどう対応するか。国際大会での適性を測るにはもってこいのチャンスだ。

 ここまで3試合。ギータのように完璧にこなしている選手もいれば、そうでない選手もいる。五輪で絶対必要な右の大砲候補、山川や岡本はとにかく振ることだ。振って体感することによって対処法が見えてくる。20年に向け、残り3試合を無駄にしないでほしいな。(スポニチ本紙評論家・中畑 清)

続きを表示

2018年11月13日のニュース