新井が作り上げた広島“家族の絆” 34年ぶり日本一へより強固に

[ 2018年10月25日 10:30 ]

9月26日、セ・リーグ優勝を決めナインに胴上げされる新井(撮影・大森 寛明)
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 「広島」で「精神的支柱」と言えば、コイ党ならずとも新井貴浩内野手(41)を連想するだろう。スポニチで新井と精神的支柱が初めてセットになったのは、2006年11月29日にまでさかのぼる。新井は、まだ29歳。広島の選手会長に就任することが決定し、「黒田、前田の投打のキャンプテンとともに、バットだけでなく精神的支柱としてチームを支える」と書かれている。

 しかし、これ以降、精神的支柱と結びつけられるのは遠い先になる。翌オフにはFA権を行使して阪神に移籍。阪神時代には、中堅からベテランの域に差しかかっていたものの、そう表現されることはなかった。

 そして14年オフに広島に復帰。ともに古巣に移籍した黒田と赤ヘル一丸の象徴的存在となった。25年ぶりにリーグ優勝した16年に、新井を精神的支柱としたのは意外にも1度のみだったが、17年に7回、そして今年は15回(10月25日現在)と急増して定着。広島には復帰してからの4年間で、成績のみならず、存在感も含めて必要不可欠な存在に変わっていった。

 精神的支柱は和を重んじながら、赤ヘルをなれ合いのチームにはしなかった。元来、新井は自分の考えを押しつけたりはしない。技術論も後輩から聞かれればヒントを与えるスタンスを取る。それでも、昨年12月、大瀬良と会食した際には、はっきりと告げた。テンポも悪くて守りにくい――。今季、最多勝と勝率第1位の2冠を獲得した大瀬良が、「変わろうと思ったきっかけになった」と語る金言だった。「新井さんだからこそ言ってくれた言葉。直接聞けないと素直に入ってくることもない。あの言葉があったから今の成績が残せている」と言うのは本音だろう。

 投手と野手の壁をなくし、助っ人との障壁も取っ払った。バティスタらとは、積極的にコミュニケーションを取る。「俺はバティが活躍することがうれしいんだよ」と言った一言をドミニカンは忘れない。バティスタが練習で力んでいると見れば「パワーがあるから大丈夫だよ」と助言したその試合でホームランを放ち、喜びを分かち合った日もあった。さらに、故障で開幕は3軍でスタートした今季は、3軍にいた高卒新人の永井をいじって、新人との壁すら作らなかった。新井が「家族」と表現するチームは、間違いなく新井自身が築き上げた賜物(たまもの)だった。

 そんな家族団らんの生活も最大7試合となった。日本シリーズが終了した瞬間、現役生活に幕が下りる。それでも、「自分のことに感傷的になることは全然ない」とチームのためだけに戦うと決めている。新井さんと日本一になりたい――。引退表明後、ナインから何度も聞いた言葉に嘘偽りはない。最強家族の絆は、34年ぶりの日本一に向かってより強固になっている。(記者コラム・河合 洋介)

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2018年10月25日のニュース