病魔克服の左腕に吉報届くか…阪神・藤浪の同期、Honda鈴鹿の平尾

[ 2018年10月22日 15:04 ]

Honda鈴鹿の平尾奎太
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 プロ野球の「ドラフト会議」は25日に東京都内で開催される。紆余曲折を経て、指名候補と言われるまでに成長し、運命の時を待つのがHonda鈴鹿の平尾奎太投手(24)だ。苦難に打ち勝った男の今に迫った。

 期待と不安が同居する心を落ち着かせるように静かに運命の時を待っている。藤浪(阪神)、沢田(オリックス)の背中を追ってきたHonda鈴鹿のエース左腕・平尾。入社から2シーズンの時を経てその距離は確実に縮まってきている。

 「藤浪も沢田もすごいものを持っているから先にプロへ行ったんだと思います。自分も負けずに頑張りたいです」

 不屈の男だ。大阪桐蔭の一員として12年春夏の甲子園大会を連覇。登板こそなかったが、ベンチで歓喜を味わった。ただ、道のりは平坦ではなかった。連覇前年の11年9月。国指定の難病、IgA腎症と診断された。入退院を繰り返した半年間。折れそうな心を支えてくれたのは、当時寮の同部屋だった藤浪や沢田ら仲間だった。

 同大へ入学後は再び治療に専念。入退院を繰り返しながら、2年間は公式戦の応援や裏方に徹した。完治した3年春からリーグ戦に登板し、通算8勝を挙げた。16年秋には教育実習で母校の教壇に立ち、当時1年生だった根尾らを相手に社会科の授業を行った。「根尾君は聡明で、意識が高い」と後輩から大きな刺激ももらった。

 「野球を辞めようと思ったことは一度もありません。支えてくれた家族に感謝したい。同じ病気で苦しんでいる方や子どもたちを励ますことができ、勇気を与えられるような選手になることができれば。それがプロを目指す一番の理由です」

 入社初年度の17年から都市対抗で先発を任されるなど主戦格としてフル回転。侍ジャパン社会人代表として同年のアジア選手権では優勝に貢献した。「社会人で投球術を学びました。自分の強みを生かしたい」。最速146キロの直球に宝刀チェンジアップは一級品だ。病魔を克服した大型左腕は感謝の気持ちを胸に刻み、懸命に腕を振り続けるつもりだ。(吉仲 博幸)

 ?平尾 奎太(ひらお・けいた)1994年(平6)6月21日生まれ、大阪府泉佐野市出身の24歳。泉佐野第一小2年から「泉佐野レッドスターズ」で野球を始め、投手と捕手。佐野中では軟式野球部に所属。大阪桐蔭では2年春から背番号18でベンチ入りし、3年夏は背番号11。同大では3年春からリーグ戦に登板。最速146キロ。持ち球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、スクリュー。50メートル走6秒4。遠投100メートル。1メートル88、90キロ。左投げ左打ち。

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