【矢野燿大という男】一度だけ退団真剣に…恩師・星野さんの言葉でつながった監督への道

[ 2018年10月16日 08:40 ]

1軍監督就任要請を受諾し、心境を語る矢野2軍監督      (撮影・成瀬 徹)    
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 今でも忘れられない光景がある。右肘を痛めて2軍調整中だった10年8月。誰もいない、閑散とした鳴尾浜の室内練習場で、来る日も来る日も黙々と打撃マシンと向き合っていた。超満員の甲子園で大歓声を浴びていた正捕手時代とは、あまりにも対照的。スター選手として、孤独を感じたりはしないのだろうか――。失礼を承知で僕が感想を漏らすと、矢野さんからは毅然(きぜん)とした表情で言葉が返ってきた。

 「俺は練習ではい上がってきた選手。一生懸命、練習するのは当たり前やん」

 努力に努力を重ねた野球人としての原点は、昨年9月に82歳で他界した父・偉夫(ひでお)さんの生き様にある。早朝から深夜まで働きづめで、自宅でもめったに顔を合わさないほどだった。食卓を一緒に囲んだ記憶も、ほとんどない。それで心の底から尊敬できたのは、家族のために身を粉にしていることを、幼い頃から理解していたからだ。「俺も頑張らなアカン」。小学2年生から野球を始めると、1日たりとも素振りを欠かすことはなかった。

 現役を退いてからも地道に努力する姿勢は変わらなかった。広戸総一氏が提唱する4スタンス理論を習得するべく、東京まで授業に出向き指導者としての資格を取得。さまざまなジャンルの読書にも挑戦し、アドラー心理学の造詣を深めた。自分の経験則だけに頼るのではなく、より本格的にコーチングを学ぶことも視野に入れる。指導者としての引き出しを増やすための労力を惜しむことはない。

 自分を育ててくれた阪神に対する恩義、愛着を忘れたことはないが、一度だけ自由契約を申し出ての退団を真剣に考えたことがある。1億4000万円という大減俸に加え、マリナーズから同じ捕手の城島がFA加入した09年オフ。あまりの悔しさに心が折れかけた時、中日、阪神の恩師である阪神・星野仙一SD(当時)が今につながる道筋を示してくれた。

 「テル、来年で20年か。よう頑張ったやないか。阪神に残って、勉強せえ」

 監督要請を受けてから激動の3日間。今回、悩みを打ち明けることは叶わなかった。それでも最後は、苦難の道を歩むことを心に決めた。「迷ったら前へ」。師の言葉とともに新たな一歩を刻んだ。(野球デスク・森田 尚忠)

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