【山口鉄という男】全身から伝わった「支配下選手になる」決意

[ 2018年10月5日 05:30 ]

巨人の山口鉄
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 12年前の1月。気温10度を下回る川崎市のジャイアンツ球場で、その球を見た。

 巨人の育成選手だった山口鉄也は、新人合同自主トレのキャッチボールから周囲の度肝を抜いた。肩が温まる気温ではなかったが、球速は140キロを超えていたと思う。全身から「支配下選手になる」という思いが伝わってきた。

 グラウンドを離れれば、シャイで優しい人柄。だが、野球になれば顔つきは一変した。2軍で結果を残しても、支配下昇格がなかった頃、球団幹部に「どうしたら支配下に上がれるんですか!」と迫ったこともあった。

 真っすぐとスライダーが得意球。プロではヤクルト・石川の握りを参考にチャンジアップを磨いた。9年連続60試合登板を果たすなど、長くセットアッパーの仕事をこなした。どれだけ活躍しても、謙虚さとハングリーさは変わらなかった。

 近年は故障に苦しみ、球速が年々、落ちていった。それでも、シュートを駆使したりして、打者を抑えようとしていた。全盛期のボールを追いかけず、モデルチェンジを模索していた。将来、指導者になったら、自身の豊富な経験を伝えられる野球人生だった。

 育成選手から日の丸を背負う投手になった山口鉄。あのときのキャッチボールで投じていた剛球は、忘れられない。(06〜09、17年巨人担当・川島 毅洋)

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