【杉内俊哉という男】激痛に耐え最後の1軍登板…「プロ」という言葉が最も似合う選手の一人

[ 2018年9月12日 08:00 ]

15年7月21日、阪神戦に先発し、6回途中2失点で敗戦投手となった杉内
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 【杉内俊哉という男】取材を通じて数多くの選手に出会ってきたが、巨人・杉内は「プロ」という言葉が最も似合う選手の一人だった。覚悟、責任感の強さは突出していた。体調不良を隠したまま上がったマウンドは数え切れない。結果的には最後の1軍登板となってしまった15年7月21日の阪神戦(甲子園)も、そうであった。

 あの日。杉内の右股関節は、登板前から悲鳴をあげていた。敵地のロッカールームでは足を引きずりながら歩いた。首脳陣に報告すれば「登板を回避しよう」となるのは明らかであった。「自分が離脱すれば、急きょ、他の投手が登板する。ゲームプランも狂う。チームや選手に迷惑をかけたくなかった」と杉内。隠れるようにトレーナールームに向かい、処置を受け、マウンドに上がっていた。

 試合後は支えがないと階段を上がれないほど痛みは増した。その姿をみた斎藤投手コーチから「杉(杉内)、抹消しよう」と提案された。数日後、埼玉県内の病院で精密検査を受けた。患部は歩くのもままならないような状態。「これでよく投げていたね…」。担当医にも驚かれた。ホークス時代に痛めた古傷で、ここ数年は月に数回の患部への注射が日課となっていた。だましだまし投げてきたが、限界だった。同年10月、手術を受けた。

 事前に体調の変化を察知し、出場を回避することで大きな故障を防ぐ。この体調管理の方法もまた「プロ」だと思う。杉内の場合でも、もう少し前に患部の状態を報告し、リハビリ期間を設けていれば、わずかだが選手寿命は延びたかもしれない。後悔はないのか。杉内に聞いたことがある。答えはこうだった。「勘違いしないでほしいのは、痛みに敏感とか、弱いとか、そういうのが悪いとは思わない。それぞれの考え方があることだから」と前置きした上で「俺は、もう一度、同じような状況が来ても投げ続けると思う。体がボロボロになっても。それがプロだと思ってやってきたから」と答えてくれた。その語気は強かった。

 39度近い熱を首脳陣には隠し、トレーナーにもらった熱冷ましの薬をこっそり服用して投げたこと。アップ中にふくらはぎに肉離れのような違和感を感じ、患部をテーピングでぐるぐる巻きにしてマウンドに上がったこと。同じような状況が、17年間でいったい何度あったことだろうか。

 「でもね。意識的にピッチングが慎重になるせいなのか、不思議と勝ったり、いいピッチングをすることが多いんだよ」と杉内は穏やかに笑った。

 1軍最後の登板となった甲子園のマウンド。5回まで無失点に抑えていたが、6回に2点を失い、途中降板した。この日もまた、激痛に耐えながらも、いつも以上に丁寧さを心がけていたのだろう。歩くのがままならないような投手の投球には、まったく見えなかった。(川手 達矢)

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