松井秀喜氏、星稜時代の仲間の前で思い語る「あの試合があったからこそ…」

[ 2018年9月1日 18:36 ]

92年夏の甲子園の星稜―明徳義塾戦。5打席連続敬遠された松井秀喜
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 TBSの人気ドキュメンタリー番組「バース・デイ」(土曜後5・00)が1日放送され、92年夏の甲子園の星稜―明徳義塾戦で5打席連続敬遠された松井秀喜氏(44)ら、当時の星稜ナインが出演。伝説の試合への思いや現在進行系の“その後の人生”について語り合った。

 夏の甲子園第100回大会の開幕前夜に神戸市内で同窓会が行われ、レギュラーだけでなく、控え選手やマネジャーら13人が集まった。現在は障がい者施設職員、運送業、ホテルレストランマネジャー、新聞社デスク、人気カレーチェーン店の運営会社社員など、さまざまな業界でそれぞれの人生を戦っていた。

 中でも「年収ナンバー1」「出世頭」ともてはやされていたのが明徳義塾戦の8回に一打同点の場面で代打出場した松本哲裕氏。高校卒業後は野球に区切りをつけ、大学進学後に2年間米国留学。経営学を学び、現在は年商100億円のプロ野球イベントの運営や警備を行う会社で専務取締役を務めている。「野球で経験した悔しさをバネに仕事で頑張ろうと思っていました」と、あの経験で成長したと語った。

 高校野球後、複雑だった思いを抱えていた選手たち。4番松井氏のあとの5番を任されていた月岩信成氏はその後、仲間との連絡を長らく絶っていたという。「いまだに敬遠のことを(野球部の)誰一人からも言われたことがないんです。逆に僕からするとプレッシャーになって…。気持ち悪いんで、そろそろ解放してください」と告白。その言葉を聞いたエース・山口哲治氏は「月岩は苦しんで、そういう気持ちを持っていたと思いますが、何も一人で背負うことはなくて、周りがなにもできなかったのが敗因」と言葉を掛けた。

 甲子園で戦い、一緒に涙を流し、今はそれぞれの人生で戦っている仲間に松井氏は「20何年間あったからこそ、こういう形にできたんじゃないかと思うし、あの試合を経験して、あそこに関わった人間たちがその試合を経て、いろんな方面で活躍して…。あの試合があったからこそと思えているんじゃないかなと、僕自身は思っています」と穏やかな表情で語った。

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2018年9月1日のニュース