松井氏5打席連続敬遠…星稜エース山口の波乱に満ちた人生、松井氏が結婚式で贈った言葉

[ 2018年9月1日 18:02 ]

92年夏の甲子園の星稜―明徳義塾戦。5打席連続敬遠された松井秀喜
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 TBSの人気ドキュメンタリー番組「バース・デイ」(土曜後5・00)が1日放送され、92年夏の甲子園の星稜―明徳義塾戦で5打席連続敬遠された松井秀喜氏(44)ら、当時の星稜ナインが出演。あの伝説の試合から“26年後の真実”を語った。

 夏の甲子園第100回大会の開幕前夜に神戸市内で同窓会が行われ、星稜ナインが集結。松井氏がチームの中で最も実力を認めていたエース・山口哲治氏らチームメートの波乱に満ちた人生を追った。

 山口氏は明徳義塾戦を「松井が敬遠されたから負けたって、周りからしたらこれだけ悔しいことはない。(自分たちが)何とかしていたら、甲子園でもっと勝てたかなって」と振り返り「(松井氏の)5連続敬遠を演出してしまったような…張本人です」と語る。

 石川予選で防御率0・00をマークした絶対的エースが、序盤によもやの3失点。相手に5連続敬遠による逃げ切りの選択肢を与えてしまった責任を「死ぬまで忘れない」と背負い込んだ。ただ、悲劇はそこで終わらなかった。

 松井氏とともに高校日本代表に選ばれた山口氏は、宿舎で松井氏にプロ野球への思いを聞く。「意中の球団じゃなかったらどうするの?と聞いたら“どこでも行くよ”と」。プロで松井氏と対決することを夢見た山口氏はプロ志望届を提出した。

 だが、運命のドラフト会議。山口氏の名前は最後まで呼ばれなかった。社会人野球の神戸製鋼の門を叩き、「松井に挑戦したいです」とプロを目指した。しかし、故障にも悩まされて夢はかなわず、8年でユニホームを脱いだ。引退決断後、26歳で結婚した山口氏の披露宴には松井氏が駆けつけてスピーチ。松井氏が胸に秘めた思いを打ち明けた。

 「今年いっぱいで野球を辞められるということで、お疲れ様でしたと言いたいですし、僕自身(山口と)プロ野球で対戦するか、もしくは、同じチームでやるという夢もありました」と告白。「夢は叶いませんでしたけど、これから奥さんと力を合わせて幸せな家庭を築いていただいて、是非2世をプロ野球に送り込んでいただきたいなと。我が読売ジャイアンツでお待ちしてますので、いい選手に育てあげていただきたいと思っています」とエールを送った。

 あの試合から26年。山口氏は現在も神戸製鋼で勤務し、3人の子宝にも恵まれた。長女含め子どもたちは野球をやっているという。少年野球の監督も務め、自身の経験を含めて子どもたちに指導を行っている。「みんな甲子園に出たいとか大きな目標を持ってやってますので、こうなってほしいと想像しながら指導しています」と充実した表情を見せた。

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2018年9月1日のニュース