智弁和歌山 高嶋監督勇退「ノックできなくなった」

[ 2018年8月26日 06:00 ]

勇退会見で思い出を語る智弁和歌山・高嶋監督(撮影・後藤 正志)
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監督として春夏の甲子園大会で歴代最多68勝を誇る智弁和歌山の高嶋仁監督(72)が25日、和歌山市内の同校で記者会見し、監督退任を発表した。打倒・大阪桐蔭へ執念の火が消えない中、「ノックができなくなったのが大きな要因」と明かした。24日付で名誉監督に就任し、後任の中谷仁新監督(39)をサポートにまわる。新チームはきょう26日に初の公式戦を迎える。

 高校球史に一時代を築いた名将が第一線を退いた。白い半袖シャツにネクタイを締めて臨んだ退任会見。注目度の高さを物語るように50人以上の報道陣を集めた会場で、代名詞の仁王立ちの時とは対照的な柔和な表情で高嶋監督は語り出した。

 「48年間、高校野球に携わり、いずれは辞める時がくる。それがたまたま今になりました。ノックができなくなったのが大きな要因の一つ。もう一つは体力的なもの。この歳になると、いろんな病気もありますから」

 大学卒業と同時に歩んだ指導者人生。大切にしてきた一つがノックだった。「対話」と表現し、選手とコミュニケーションや絆を深めてきたが、近年は満足にノックを打てないもどかしさも抱えていた。「この選手がどうしても必要だという時は追い込みました。芯の強さはそういう練習で培われますから」。1学年10〜12名の少数精鋭で戦い、猛練習で強力打線を築いた。

 甲子園初優勝は1994年の春。夏は97年と00年大会を制した。特に00年夏のチーム本塁打数11とチーム安打数100は現在でも大会記録だ。積み上げた監督通算勝利数68は歴代最多を誇る。「記録は抜かれるためにある。まあ、時間の問題でしょう」。一番の思い出には初優勝を飾った94年の選抜大会で劇的な勝利を飾った準々決勝・宇和島東戦を挙げた。当時同校を率いた上甲正典監督(故人)とは公私で親交が深かった。

 「野球は自分の人生そのもの。長いようで短かった。悔いが残るのは、売り出し中の大阪桐蔭を倒せなかったこと。中谷監督に引き継いで欲しい」

 今の3年生は今春の選抜決勝で敗れるなど入学後は5戦全敗。退任を決めても消えない執念をのぞかせた。48年に及ぶ波瀾(はらん)万丈の監督人生。甲子園にかける思いが原動力だった。「甲子園に出て負けて帰ると、1週間後に震えが出る。禁断症状なんですよ。そうすると“コノヤロー”ってノックを打つんです」。聖地に愛され、聖地に取りつかれた男は豪快に笑った。(吉仲 博幸)



 ◆高嶋 仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県五島市福江島出身の72歳。海星(長崎)では2、3年時に夏の甲子園に出場。日体大を経て72年、智弁学園(奈良)の野球部監督に就任し、春2度、夏1度の甲子園出場へ導く。80年に智弁和歌山へ移り、創部2年目の無名校を春12度、夏23度出場の強豪に育て上げた。甲子園大会の初優勝は94年春。夏は97年と00年の2度制覇。監督通算68勝(35敗)は歴代最多。

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