ガッツポーズはなぜいけないのか――高校野球の美学(下)

[ 2018年8月21日 11:30 ]

試合前後の敬礼の方法を説明した「審判員心得」を刻んだ銘板(大阪・豊中市の高校野球発祥の地記念公園)
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 【内田雅也の広角追球〜高校野球100回大会余話】第1回全国中等学校優勝野球大会(今の全国高校野球選手権大会)の開幕前夜、1915(大正4)年8月17日、参加選手が一堂に会した「茶話会」が開かれた。出場10校の選手110人(各チームのベンチ入り11人)と監督10人に、大会委員や関係者ら計約200人が午後7時から大阪・中之島の大阪ホテルに集まった。

 堂島川に面したバルコニーの長机を並べ、親交を深めるため、各校選手が入り乱れて着席するように配慮された。サンドイッチとアイスコーヒーがふるまわれた。

 副審判長の平岡寅之助が立ち上がり演説した。大会後の同年10月20日に発行された『第一回全国野球大会記録』(大阪朝日新聞社)が野球殿堂博物館に残り、その内容が記されている。

 ちなみに平岡寅之助は当時、日本製樽会社取締役。野球殿堂入り第1号選手、わが国初の本格的野球チーム、アスレチックス新橋クラブを組織し、日本で初めてカーブを投げたとされる平岡●(ひろし、●はにすいに「熙」)の弟である。

 「勝敗は目的の全部にあらず」「徳義を基本として善戦し、自らわが国における野球競技の模範となり――」と語り始め、本場の米国や海外にもない「試合前後の礼式」を定めたと伝えた。

 100回大会の今に続く試合開始前と終了時、本塁をはさんで両チームが一礼する決まりである。「審判員心得」で整列の図を用いて説明されている。当時は両チーム主将が数歩前に出て、選手名を審判員の紹介する儀式もあった。

 「徳義を重んじる勇者の試合には必ず付随すべき礼儀なりと信じて制定せし次第なり」。礼に始まり、礼に終わる。日本古来の武士道精神がこめられている。

 「勝っておごらず、敗るるも悲観せず、勝敗のいかんは別問題として、常に堂々たる勇者の態度を失わざらんことを心がけ――」「あくまで徳義と常識をもって臨み、せっかくの大会を無意義に終わらしむるごときことなからんことを切望す」

 今の甲子園大会にも続く精神だと言える。

 大会創設にあたり、主催の大阪朝日新聞や関係者が徳義や礼儀を規定に盛り込んだのは、東京朝日新聞が展開していた「野球害毒論」への善後策という意味合いもあったろう。

 大阪、東京は違えども同じ朝日新聞は4年前、1911(明治44)年8月29日から、紙上で『野球と其害毒』と題した連載記事を22回にわたって掲載していた。

 第1回で一高校長、『武士道』の著者でもある新渡戸稲造が「野球という遊戯は悪くいえば巾着切り(スリのこと)の遊戯」「野球は賤技なり、剛勇の気なし」と切り捨てた。「野球選手の不作法」として「剣道柔道の選手のように試合をする時に礼を尽くさぬ」と礼儀の問題を突いていた。

 学習院長・乃木希典は「対外試合のごときは勝負に熱中したり、余り長い時間を費やすなど弊害を伴う」と勉学への悪影響を指摘した。

 当時、早大、慶大など学生野球の人気は異常なまでで、選手の「商品化」や行き過ぎた応援が問題視されていた。『害毒論』にはとんでもない指摘もあるが、改めるべき点はあったと言える。

 野球史に詳しい作家で日本高校野球連盟(高野連)顧問の佐山和夫は朝日新聞が全国大会を主催した点について<結局はみずからがぶち上げた「害毒論」が引き起こした反動を逆手にとって、野球の巻き返し運動を見事に制度化した>と評している=『野球とアンパン』(講談社現代新書)=。さらに<その指摘から、改めるべき点の改良が起こったのだし、その上での育成を兼ねての主催だったことを思えば、すべてはうまく展開したことになる>。

 『害毒論』では選手の動作について「芸人らしく興行向き」と派手なパフォーマンスが批判されていた。新渡戸は『武士道』(岩波文庫)で、その徳である<真の礼>とは<他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れたるものである>としている。武士道最高の美徳「惻隠(そくいん)」である。

 腰巻き(帯)に文字通り「ガッツポーズに違和感を感じるのはなぜか」とある本がある。西村秀樹の『スポーツにおける抑制の美学――静かなる強さと深さ』(世界思想社)だ。感情表出を抑えたアスリートの魅力を日本古来の伝統文化から考察している。

 武士の心得を説いた『葉隠』には<閑(しず)かに強みあるがよきなり>とある。「礼儀正しきは人を畏(おそ)れさせる威容を持つ」である。

 同書は<武道やスポーツに求められる礼儀正しさは、現在は一般的に「相手への敬意」の意味が強調されているが、大元を尋ねれば、武士に見られる、こうした内面の強さに通じているのではないか>と分析している。

 「黙って、静かにしていた方が相手は恐れるんだ」とPL学園監督時代の中村順司が語っていたのを覚えている。中村は「常に相手を思いやるように」と指導していた。高い精神性は、まさに武士道の精神だろう。

 同様に我喜屋優が監督の興南や一昨年準優勝の北海など、ガッツポーズなど派手なパフォーマンスを控えるチームも多い。英明(香川)は規則ではっきり禁止しているそうだ。

 見る側の観衆やファンも感情表出を抑制する姿勢に共感し、感動する。『――抑制の美学』では「ハニカミ王子」の人気や東京五輪柔道無差別級決勝でのアントン・ヘーシンク(オランダ)の態度など多彩な例をあげている。「恥じらい」の文化や、世阿弥の「秘すれば花」といった歴史的背景まで掘り下げている。

 強制的にガッツポーズを禁じたり、感情を表に出すのを控えさせるのは意味がない。ただ、指導者は感情や情緒を抑制する意味や深みを伝えていくことが必要だろう。

 第1回大会で目指した「勇者の態度」は100回も伝えられてきた。次代に向け、より高い境地を期待している。 =敬称略=  (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(旧制・和歌山中)野球部時代、練習後、グラウンドに正座し「礼節を持て」などと書かれた監督の訓示を唱和していた。慶大文学部卒。大阪紙面で主に阪神で書くコラム『内田雅也の追球』は12年目を迎えている。

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