元松商学園監督・中原英孝氏 球の見極めと走塁力で勝った横浜 野村対策お見事

[ 2018年8月15日 09:30 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第10日・2回戦   横浜8―6花咲徳栄 ( 2018年8月14日    甲子園 )

松商学園元監督で現在は日本ウェルネス筑北の監督を務める中原英孝氏
Photo By スポニチ

 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜 元松商学園監督・中原英孝氏】松商学園を率いて91年春のセンバツで準優勝を果たすなど、長野日大を含め、甲子園通算14勝を挙げた現日本ウェルネス筑北(長野)の中原英孝監督(73)が第3試合の横浜―花咲徳栄戦を観戦。実力校同士の試合で、勝敗を分けたのは序盤に見られた横浜の緻密な野球と分析した。

 花咲徳栄のエース野村君に対し、横浜打線はボール球の見極めが良かった。投手は1、3、5球目の奇数の時にストライクが取れないと苦しくなる。その上で第1ストライクを積極的に振ってきた。3、4回の2イニングで野村君に対した打者13人中、第1ストライクにバットを出したのは9人。この勢いに、野村君はやや気後れしているように見えた。そこで甘くなった球を確実に捉え、一挙6点のビッグイニングをつくった。

 もう一つは横浜の走塁力。1、2点目は左前打で二塁走者が生還したが、走者も三塁コーチャーも躊躇(ちゅうちょ)がなかった。私の考えでは、外野手のグラブにボールが入るのと、走者が三塁ベースを踏むのが同時ならば90%はセーフになる。普段から走塁の意識が高いから、大舞台でも実践できる。8回2死二塁から左飛で三塁へタッチアップした場面もあった。結果的に「2点」の差は走塁の差だったかもしれない。

 花咲徳栄は6―8の9回2死満塁、フルカウントになった場面で、打席の井上君に伝令を送った。何を伝えたかは推測だが「迷わず、思い切って振ってこい!」ではないか。横浜の3番手・黒須君は制球に苦しんでおり、私なら打者が3年生なら「間」を取らずに、任せたかもしれない。でも、井上君は1年生。結果的にボール球を振って三振したが、来年、再来年と中心になってほしい打者だからこそ、あそこで声を掛けたのではないか。

 酷暑の甲子園。横浜や大阪桐蔭のように、やはり投手を複数持っているチームに分がある。私が松商学園の監督を務めていた91年は上田佳範(現DeNAコーチ)という絶対的なエースがいた。春のセンバツでは準優勝。チーム力に手応えがある中で迎えた夏の3回戦は、四日市工(三重)と対戦し、延長16回の激闘となった。相手も井手元健一朗(元中日)という素晴らしい投手がいた。あの日も猛暑だったが、両投手とも200球以上投げた。最後は3―3の16回1死満塁から井手元の232球目が、上田の右肩に当たる死球でサヨナラ勝ちを収めた。

 松井秀喜(現ヤンキースGM特別アドバイザー)擁する星稜(石川)との準々決勝は翌日。宿舎に戻ると、上田の右肩にはボールの縫い目が残っていた。私は関西の知り合いに頼み、馬肉を探してもらった。馬肉は熱を取るので、それを1、2ミリにスライスして患部に貼る。部長とマネジャーが夜通し、20〜30分ごとに貼り替えた。上田に先発を伝えたのは、甲子園に向かうバスの中。「相手は同じ北信越のチームだ。3回だけ投げろ」と。上田は完投したが、2―3で惜敗。春夏とも頂点には届かなかった。

 タイブレークが導入された現在では、両投手が200球以上投げ合う投手戦はもう見られないかもしれない。本心は、決着をつけるまでやる。でも、選手の健康は最優先に考えないといけない。時代も変わっている。決まった以上はそれに対応していくしかないと思う。(日本ウェルネス筑北監督)

 ◆中原 英孝(なかはら・ひでたか)1945年(昭20)5月30日生まれ、長野県池田町出身の73歳。松商学園で選手として63年夏に甲子園出場。明大では副主将。その後、母校の監督に就任し、69年夏に24歳の若さで甲子園出場に導く。72年に退任したが、89年に復帰。91年は春準優勝、夏8強。05年から長野日大を率い、08年春は8強。16年から日本ウェルネス筑北の監督を務める。甲子園通算25試合で14勝11敗。

続きを表示

この記事のフォト

2018年8月15日のニュース