如水館・迫田穆成監督 近江が見せた古き良き野球 よみがえる江川攻略の記憶

[ 2018年8月14日 09:30 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第9日・2回戦   近江4―3前橋育英 ( 2018年8月13日    甲子園 )

73年春、準決勝で広島商に敗れ、甲子園を去る作新学院・江川
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第9日】如水館(広島)の迫田穆成監督(79)が前橋育英―近江の一戦を甲子園で観戦した。広島商監督として73年春に作新学院の「怪物」江川卓を打倒し、同夏は静岡との決勝でサヨナラスリーバントスクイズを成功させた策士。「高校野球」を見つめる視線は今なお熱い。

 変化球なら併殺を取れていたんじゃないか…と考えた。近江・有馬君のサヨナラ打。投げる前橋育英・恩田君は直球を選んだ。その直前、足がつってベンチに戻っていた。ここで「自分の一番いい球を投げていいよ」という話になったようだ。もし治療の時間がなければ、どうだったか。

 有馬君は変化球に合わず、初戦から無安打だった。当たっていない選手を徹底して攻めるのは鉄則だ。しつこく、しつこくいかないといけない。野球は。

 いい試合だったから最後の場面に一言言いたくなった。近江2番手・林君はテンポが良く、捕手の有馬君はキャッチングがいいから変化球でもミットがいい音を出す。9回無死一塁から内角球を右に運んでつないだ北村君は、本塁打を意識していたような6回の併殺打の反省を生かした。

 こういういい試合が最近は少ない。ホームラン、ホームランで高校野球が粗くなっている。今の広島商にしてもOBのソフトバンク・柳田の影響か、とにかくぶんぶん、という野球になっている。

 タイミングが合わなくても振る、というのは野球のスイングじゃない。高校野球は才能のある人を集めてやるプロ野球とは違う。私たちがやってきた高校野球は、ない中でどうやるかの野球。金光興二、達川光男らの73年は、それをよく分かってくれた代だった。

 72年の7月、スカウトの人から「作新・江川」の存在を聞いた。「2年生だけどプロに入っても15勝できる」という。木のバットの時代だ。打つどころかバントもできないだろう。それでどうやって勝ったらいいのか。

 スクイズを空振りしようと考えた。二、三塁に走者がいないと駄目だが、スクイズを空振りして、三塁走者が捕手のタッチをおびき寄せて、すぐ後ろに隠れた二塁走者が本塁を取る作戦。8月1日から毎日1時間やった。

 私が凄いんじゃない。センバツに出られるかも分からんのに、江川と当たったらどうするかと選手が思って、必死にその練習をやったことが凄かった。そうして、いざ春に江川と当たった。形は違うが機動力で守りのミスを誘って、勝った。

 今の子供らは「そんなバカげた練習はできない」と言うだろう。試合を前に、打たない練習もした。振れば、江川の速球には必ず遅れる。バットを止めてファウルして、球数を増やす。選手が一生懸命やってくれた。

 我慢や指導者への礼儀を厳しく言うのは、家庭の父親だった。今の時代、父親の権威は形なし。怒るのを母親に止められたりもする。子供は怒られることに弱くなっている。スマホ育ちのためだろうか、覚えるのが苦手と感じることも多い。恵まれた時代で感動も薄いから、その気にさせるのも難しい。教える側が苦労する時代だ。

 私は昔の、いい高校野球をなくしたくない。今年、著書を出した。作戦、選手づくりなど、持っている引き出しの8割は書いた。残る2割に加え、新しいものをつくろうと燃えている。「うちが大阪桐蔭あたりを倒さないといけん」と思ってやっていく。(如水館監督)

 ◆迫田 穆成(さこだ・よしあき)1939年(昭14)7月3日生まれ、広島市出身の79歳。広島商で選手として57年夏に全国制覇。コーチを経て67年監督就任。甲子園に6度導き73年は春準優勝、夏優勝を遂げた。75年で退任。93年に如水館(当時三原工)監督となり、甲子園に8度出場、11年夏ベスト8。甲子園22勝13敗1分け。05年は高校日本代表監督を務め、AAAアジア選手権を制した。

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2018年8月14日のニュース