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香田誉士史氏、田中の起用法がダブった興南の継投タイミング「ガッキーさすが」

第100回全国高校野球選手権記念大会第5日・1回戦   興南6―2土浦日大 ( 2018年8月9日    甲子園 )

06年8月、南陽工との試合終了後、田中将大(右)に声を掛ける香田誉士史監督
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第5日】投手交代の妙は監督冥利(みょうり)に尽きる――。駒大苫小牧を率い、04年夏に北海道勢として初めて甲子園優勝を果たした香田誉士史氏(47=西部ガス監督)は、興南・我喜屋優監督(68)の衰えない勝負勘にうなった。10年前「北国のハンデをはね返す強化策」をアドバイスされた恩師の采配に、05、06年の教え子だった田中将大(29=ヤンキース)の起用法がダブった。

 2点リードながら8回無死満塁。我喜屋監督は背番号13の宮城君をマウンドに送り出した。私も同じタイミングで代えたと思う。

 7回2死満塁は切り抜けたものの、8回無死一、二塁からここまで2三振に抑えていた左の井上君にクリーンヒットされる。ビッグイニングの予感ですよ。最近の高校野球は簡単にホームランが出たり、大量点が生まれる。だから投手交代が重要。私は早めの継投だったけど、我喜屋監督も勝負に打って出た。

 結果は無得点。だから裏の攻撃でダメ押しできた。あの年齢で勝負勘が衰えていない。

 我喜屋監督との出会いは駒大苫小牧に赴任して3年の98年頃。北海道の中、唯一全国大会(社会人・大昭和製紙北海道で都市対抗優勝)に主将として頂点に立った人物としてぜひお話ししたかった。感性だけでなく、勝負に必要な“ひねくれ根性”も初対面で学んだ。「寒いとか、雪があるからとか、お前ら全部言い訳にしている。だからダメなんだ」と力説していた。

 カルチャーショックだった。北国に来たからには冬場はしっかり選手の体づくりと思ったけど…。実際に大きい体でゴーンと打つけど、エラーも多く、荒っぽい展開になりがち。決して全否定するわけではないけど、大味な野球という感じだった。

 こうも諭された。「お前らの室内練習は網の中で投げているだけ。春先にグラウンドに出て勝負なんて甘い。野球というスパン、距離感を意識しろ。やれない練習は一つもない」。それから発想を広げて雪上ノックを取り入れた。以降も定期的に視察してもらった。初めて全国制覇する04年の春。ウチの練習を見学すると「いいんじゃない?」。我喜屋監督は照れ屋だから一言だけだが、私なりにチームの手応えを感じだ。

 当時は無欲だった。03年夏1回戦は倉敷工に8―0とリードしながら降雨ノーゲームで翌日完敗。そのショックを初戦の佐世保実戦の快勝で晴らすと、自信満々からいい勘違いをしちゃった。準々決勝・横浜戦では涌井秀章君(現ロッテ)の140キロ台後半を選手同士で「速くない」と言い合ってたんだから。

 初優勝した後は非常に重たい1年間が過ぎていった。それでも南北海道大会を突破し、連覇をかけ甲子園入りした時からバーベルを外したように、04年当時の勢いが戻ってきた。あのチームは松橋拓也が背番号1で、田中将大が11番。継投がポイントだった。73年ぶりの甲子園3連覇をかけた06年夏は決勝、同再試合前にいずれも田中と2人きりで話し合った。

 「俺は先発でいきたいけどどうだ?」と聞くと「できれば後(2番手)でお願いします。先発でないと言われただけで、安らぐ感覚があるので」と答えが返ってきた。結局、2試合とも序盤で登板することになるのだが、覚悟は田中に持たせたつもりだ。

 我喜屋監督も宮城君にはそうした場面を想定して話していたと思う。私が酔っぱらって電話すると、そう呼ぶけど、再び言わせてもらいます。「ガッキー!さすがですね」(西部ガス監督)

 ◆香田 誉士史(こうだ・よしふみ)1971年(昭46)4月11日生まれ、佐賀県出身の47歳。佐賀商―駒大卒。佐賀商のコーチとして、94年夏の全国制覇に貢献。95年から駒大苫小牧を指揮し、04、05年夏と甲子園連覇。V3を懸けた06年は早実と決勝再試合の末敗れた。甲子園通算15勝6敗1分け。12年から社会人野球・西部ガスのコーチを務め、17年秋から監督に就任して今夏の都市対抗に出場。

[ 2018年8月10日 09:00 ]

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