東海大甲府・大八木治氏 前評判通りの金足農・吉田 84年超え4強以上期待

[ 2018年8月9日 09:00 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第4日・1回戦   金足農5―1鹿児島実 ( 2018年8月8日    甲子園 )

85年夏、準々決勝で関東第一に勝利し、スタンドにあいさつする大八木監督(手前左)ら東海大甲府ナイン
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第4日】チームの鍵は、エースが握っている。東海大甲府監督として1985年に山梨県勢を初の4強に導いた大八木治氏(64)は、金足農の右腕・吉田輝星投手(3年)の投球だけにとどまらない野球センスに将来性を感じ取っていた。

 金足農の吉田君は前評判通りの好投手だった。ピンチでギアを上げる投球術もさることながら、けん制のうまさが抜群。クイックかと思えば、10秒近くためてから投げる。鹿児島実の走者は大きなリードが取れず苦労したと思う。完投を視野にペース配分していたようですが、初球から積極的に振ってくる打線と対戦した時にどうなるか注目している。157球のうち8割以上が直球で、右打者に数球だけ使ったカーブとスライダーを増やしたり、積極的に内角を突ければ球数の減少につながる。

 金足農は、私が東海大甲府で出場した84年に夏初出場で4強入り。エースの水沢博文を軸に、準決勝では「KKコンビ」擁するPL学園に7回まで2―1とリードする素晴らしいチームだった。

 私が初出場した81年は、新発田農(新潟)に3―4で敗戦。相手の3倍の9安打も打ったのに、やっぱり甲子園で勝つのは難しいんだなと落ち込んでいたら、記者の方から「これで山梨県勢は夏の初戦で9連敗ですが?」と言われてカチンときた。思わず「あんたはどこの新聞社だ?」と言い返したのもいい思い出。反骨心に火が付いて、翌82年に県勢16年ぶりの勝利(1府県1代表でなかった67、69〜71、74、77年は代表なし)を挙げました。秋田県勢も98年から10年まで夏の初戦に13連敗していたようだが、吉田君の大会中の成長次第では、84年に近づけると思う。

 エースの出来はチームの浮き沈みに大きく関わる。私が4強入りした85年夏は、最初は優勝する気でいたけど開幕前には「少しでも選手たちの思い出づくりができればいいや」と考えが変わった。なぜなら、エース左腕の福田和幸が、山梨大会後に左肩の肩甲骨周りを痛めて投げられなくなっていたから。初戦の岡山南戦の前日、コーチ3人と先発投手について話し合った時、一番若いコーチが「山梨を福田で勝ったんだから1イニングだけでも福田で」と言った。福田にいけるか聞いたら「投げられそう」と。先発させたら初回を無失点。イニングが終わるたびに状態を確認していたけど、2失点完投。よく「甲子園には魔物がいる」と言いますが、ウチには“魔物”という名の“女神”がいたと思った。準々決勝で小倉全由さん(現日大三監督)の関東第一に、9回に4―7から逆転勝ちしたのも劇的だった。

 最後に、指導者の方に伝えたい。ノックには「鍛える」と「自信を持たせる」という2種類の目的がある。私が試合前にやるのは後者。特に甲子園は地方球場と違って低い位置までスタンドがあり、内野手が捕球後に一塁へ向くと観客の顔が見えるため悪送球が起こりやすい。定位置の左右3メートルと前方の簡単なゴロだけ処理させて自信を付けさせた。

 教え子で阪神コーチの久慈照嘉も、私の意図を「最近やっと分かってきました」と言っていた。その点で、鹿児島実のノッカーが上手にゴロを打っていたのが印象的だった。 (元東海大甲府監督)

 ◆大八木 治(おおやぎ・おさむ)1953年(昭28)10月12日生まれ、神奈川県出身の64歳。東海大相模、東海大で捕手としてプレーし、79年から東海大甲府(山梨)を指揮。対戦相手を研究するデータ野球を導入し、85年夏には山梨県勢を初の全国4強に導いた。12年4月、啓新(福井)の初代監督に就任し17年12月に退任。甲子園通算17勝11敗。

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