甲子園審判、初の大集会――100回大会迎え、OBら250人が「集い」

[ 2018年8月8日 19:07 ]

初開催の「甲子園・審判の集い」で「感謝の言葉」を述べる八田英二・日本高野連会長
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 夏の高校野球選手権が100回大会、春の選抜大会が90回を迎えたことを記念し、歴代の審判員を招いた「甲子園・審判の集い」が8日夕、兵庫県西宮市のホテル・ヒューイット甲子園で開かれた。審判員OB約250人や主催の日本高校野球連盟、朝日新聞社、毎日新聞社関係者約20人が旧交を温めた。

 冒頭であいさつに立った、大会審判委員長でもある日本高校野球連盟(高野連)・八田英二会長(69)は「春夏の大会が大きな節目を迎えられたのは審判員の皆さんの情熱、力添えがあってこそ。敬意を表します。このあいさつは“感謝の言葉”として受け止めていただきたい」と話した。

 今は審判幹事を務める木嶋一黄さん(69)によると「夏の95回大会(2013年)に50人ほど集まったが、これだけの規模の会合は初めて」という。

 「最高試合」と呼ばれる79年の箕島―星稜戦で球審を務めるなど、64から94年まで30年以上務めた永野元玄さん(82)は「100回大会を前に亡くなられた方々も多い。どれだけ喜ばれたことだろうか」と、郷司裕さん(06年他界、野球殿堂入り)ら鬼籍に入った先輩の顔が浮かんだ。

 「今日は審判いたかなあ、という試合をやりたかった。空気のような存在でありたかったが、1度もできなかった。現役を退いた後、判定でガラリと流れが変わるのを知り“なんと怖い仕事をしていたんだろう”と思った。生まれ変わったら審判員はできないね」

 最高齢は種田吉富さん(88)。北本重二投手とバッテリーを組み、1948(昭和23)年選抜で優勝を果たした京都一商(現・西京)の捕手だった。58年に審判員で初出場している。

 永野さんは昨今の野球人気低落に危機感を抱いていた。連盟旗の「F」について「その精神を思い直す時がきているのではないか」と話した。フェデレーション(連盟)に加え、ファイト(闘志)、フェアプレー(正々堂々)、フレンドシップ(友愛)の3つの思いが込められている。「特にフレンドシップの心を持ちたい。根本的に浸透させる時期にきている」と次代への提言を行った。

 「審判委員」と呼ばれる甲子園大会の審判員は夏は1974(昭和49)年から、春は1993年から、47都道府県連盟からの派遣審判も受けいれており、全国的な広がりを見せている。

 現役の審判員は大会期間中とあって不参加。八田会長は「現役の方々は大会中は禁酒で通していますが、皆さんはアルコールも大丈夫なはずです。大いに昔話で盛り上がってください」と言って、会場を沸かせた。

    (内田 雅也)

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