沖縄尚学・比嘉公也氏 ここまで打たせるとは…沖学園の強攻策に感じた時代の変化

[ 2018年8月7日 09:00 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第2日・1回戦   沖学園4―2北照 ( 2018年8月6日    甲子園 )

99年春、PL学園を破りガッツポーズの沖縄尚学・比嘉
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 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第2日】 沖縄尚学の比嘉公也監督(37)は99年春はエースとして県勢初優勝。08年春は監督として再び日本一になった。沖縄の高校野球の歴史を変えた指揮官は、この日の第3試合に注目。北照を下し甲子園初勝利を挙げた沖学園の強攻策に、時代の変化を感じ取った。

 私なら100%、送りバントのサインを出していた。

 <1>0―0の3回無死一、二塁

 <2>1―0の5回無死二塁

 <3>3―2の7回無死一塁

 だが、沖学園の鬼塚佳幸監督は、強攻策を貫いた。いずれの回も全て得点が入ったのだから恐れ入る。ここまで打たせるとは思わなかった。特に市川君は腕っぷしが強く、バントはさせない2番なのだろう。

 今から28年前。私が小学生の頃、栽弘義監督率いる沖縄水産が夏の甲子園決勝に進出した。結果は準優勝だったが、沖縄のチームでも全国の頂点を狙えるんだと、テレビにかじりついて見た記憶がある。さらに、翌年夏も2年連続で甲子園準優勝。当時の野球は1死でも送りバントで得点圏に走者を進める野球だった。約30年の間に、野球は変わった。

 99年センバツは選手として“甲子園で1勝できればいい”くらいの気持ちだった。初戦の相手、比叡山には村西哲幸君(元横浜)という好投手がいたので、難しいなと思っていた。ところが、1―0で勝った。私は公式戦初完封。力以上のものが出るのが甲子園だと思った。絶対に負けたくないと思ったのは準決勝のPL学園戦。延長12回の末、8―6で勝った。212球で完投したが、後にも先にも内面からあれほど熱くなったことはない。

 監督として迎える08年センバツは、エースに東浜巨(現ソフトバンク)がいて、野手にもいい選手がそろっていたので、ある程度はいけると思った。監督としては選手の体調管理はもちろん、試合中のサインなど考えることは多い。指導者は大変だなと感じながらの甲子園だった。

 春は2度、優勝を味わったが、同年の夏はともに勝ち上がれなかった。99年は甲子園2回戦で敗退。08年は沖縄大会決勝で負けた。だから、10年に甲子園で春夏連覇した興南高校は凄いと思った。

 春と夏の一番の違いは「打者のレベル」だと思う。具体的に言えば、ボール球の見極めができるようになること。変な球に手を出さなくなり、ミスショットも減る。ある程度のコースで春先は抑えられた打者が、夏はそうはいかない。だから、お互いに夏は打てないと勝てない。

 夏も甲子園で優勝するチームが出て、県内の野球のレベルは上がってきたことを実感する。研究熱心な指導者も増えているし、選手の意識も変わってきた。近年は沖縄の有望な中学生が県外の高校に進学するケースが増えているが、その流れを食い止めたいと思う。

 沖学園・鬼塚監督は私と同い年。初出場で堂々と、打ち勝つ野球をやっていた。ただ併殺打が多く、15安打で4得点だったことは、今後の反省材料になると思う。一方で、沖学園も北照も守りが鍛えられていた。両チームで計6併殺は珍しい。斉藤君と原田君の両エースのテンポの良さも守りやすい要因だった。「守ることは当たり前」を前提に、そこからプラスアルファの力を付けられるかが、100回大会を勝ち上がる高校なのだろう。 (沖縄尚学監督)

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