穴吹義雄氏死去 “あなた買います”入団時争奪戦が小説、映画に

[ 2018年8月5日 05:30 ]

南海監督時代の穴吹氏
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 南海(現ソフトバンク)で選手、監督を務めた穴吹義雄(あなぶき・よしお)氏が7月31日午後0時6分、敗血症のため堺市内の病院で死去していたことが4日、分かった。85歳。香川県出身。葬儀は近親者で行った。

 高松高から中大へ。東都大学リーグで2季連続の首位打者に輝いた好打の三塁手で、1956年のプロ入り前に大争奪戦となった。ドラフト制度前の自由競争時代。郷里の先輩、巨人の水原茂、西鉄(現西武)の三原脩両監督をはじめ、名うての敏腕スカウトも入り乱れて契約金がつり上がった。南海とは手取り約700万円で契約し「田舎(高松)では家の5軒は買えた」と述懐。この間のいきさつが小説「あなた買います」に描かれ、映画化もされた。

 入団1年目、阪急(現オリックス)との開幕戦で新人として史上初のサヨナラ本塁打を放った。57年に外野手に転向。68年限りで引退。南海打撃コーチや2軍監督などを務め、83年から85年まで1軍監督として指揮を執った。通算1166試合に出場し、814安打、89本塁打、404打点、打率2割6分4厘。監督としては5位、5位、6位だった。

 晩年は少年野球チームの指導に携わり、2006年脳梗塞、15年脳内出血を患い、療養生活を続けていた。

 ▼岡本伊三美氏(南海での先輩)穴吹が入団した年、球団初のハワイキャンプでは鶴岡一人監督の指示で教育係として同部屋になった。豪傑の多い当時の南海では異色で、コツコツやるタイプだった。ただ、ホテルのベッドから毎晩のように落ちて、大いびき。こちらは眠れなかった。南海のメンバーが少なくなっていくのはやはり寂しい。

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